Ayn Rand Says(アイン・ランド語録)

第6回 誰が殺した?マリリン・モンローを  [07/27/2008]


A woman, the only one, who was able to project the glowingly innocent sexuality of a being from some planet uncorrupted by guilt---who found herself regarded and ballyhooed as a vulgar symbol of obscenity---and who still had the courage to declare: “We are all born sexual creatures, thank God, but it’s a pity so many people despise and crush this natural gift.”

A happy child who was offering her achievement to the world, with the pride of an authentic greatness and of a kitten depositing a hunting trophy at your feet--- who found herself answered by concerted efforts to negate, to degrade, to ridicule, to insult, to destroy her achievement--- who was unable to conceive that it was her best she was punished for, not her worst---who could only sense, in helpless terror, that she was facing some unspeakable kind of evil.
(“Through Your Most Grievous Fault” in The Ayn Rand Column)


(マリリン・モンローはまさに女性だった。まるで罪悪感などに汚染されていない惑星からやって来たように、輝くばかりの無垢な性的魅力を発散することができた唯一の女性だった。彼女は知っていた。自分が猥褻という卑俗なシンボルとして見られ、派手に宣伝されていることを。それでも、「私たちは、みんな生まれながらに性的な生き物なのよ。神様に感謝だわ!沢山の人がこの自然の贈り物を軽蔑して壊してしまうなんて、ほんとにもったいない。可哀想よね」とはっきり言い切る勇気が彼女にはあった。

モンローは、自分が成し遂げた大きなことを誇りに思い、自分が捕まえてきた獲物を、どう?すごいでしょ?と言わんばかりにあなたたちの足元に置く子猫のように堂々と自身の偉業を世界に提供していた。そんな「幸福な子ども」だった。しかし、自分が成し遂げたことを否定し貶め嘲笑し軽蔑し破壊しようとする力が大挙して自分に迫ってくることに気がついたのだ。彼女には見抜くことができなかった。最悪なものを提供したからではなくて最高のものを提供したからこそ、そのような攻撃を招いてしまったということを。口には出せない類の邪悪に自分が直面していることだけを察知できたのだった。どうしようもなく恐れおののきながら。)


★これは、アイン・ランドが、『ロスアンジェルス・タイムズ』(Los Angels Times)という新聞の時評コラムを1962年の1年間だけ担当したときに書いたものです。1962年8月19日に人気女優のマリリン・モンロー(Marilyn Monroe)が死亡した後に書いたものです。モンローの死因は今でも不明です。自殺か事故死か他殺か。ケネディの愛人で国家機密を知ったので、政府筋から殺害されたという説もある。ただ彼女が精神的に深く傷つき、アルコールや薬に逃げ場を求めていたことは事実でした。

★モンローは、1930年代のハリウッドのフィルム・ノワールのヒロインのような神秘的で悪魔的なエロスを発散しませんでした。下着まで黒いんじゃないかと思わせるみたいな黒ずくめの「宿命の女」(femme fatale)ではありませんでした。モンローはあくまでもキュートで健康で陽気で無邪気なエロスを発散する新しいタイプのヒロインでした。繁栄を極めた戦後アメリカの1950年代の明るさを象徴するような清新なセックス・シンボルがモンローでした。

★しかし、あの時代に、モンローという女優の破天荒な意義を理解していた人々は、多くはありませんでした。彼女は不当に貶められました。男たちは心の奥ではモンローが大好きだったのに表面的には馬鹿にしました。女たちは性差別に抑圧されている自身の歪みを直視するかわりに、「性的に解放されている」(ように見える)モンローを蛇蝎視(だかつし)しました。かわいそうなマリリン・モンロー。

★現代の若い人たちは、モンローの映画を見ても特にセクシーとも感じないでしょう。「下品」とも感じないでしょう。普通のお嬢さんが、肌を大胆にさらし、くっきりとした大きな胸の谷間を見せつけているが現代です。しかし、1950年代から60年代にヒロインに求められたのは、上品さ、端正さ、あからさまでない知性美と、秘すれば花的ではあるが馥郁(ふくいく)と発散される清潔な色香でした。モンローの出現は、この種のヒロイン像を蹴飛ばしました。モンロー出現後、旧型伝統的ヒロインは偽善的で退屈な計算高い「いい子ぶりっ子」に見えるようになりました。モンローの前にモンローなし。モンローの後にモンローなしです。

★1962年というのは、アメリカの60年代を席巻(せっけん)した「性革命」(Sexual Revolution)など、まだ胎児段階でした。フェミニズム運動も、ゲイ・レズビアン解放運動も、まだまだでした。モンローが、なんとか正当な評価を受けるようになったのは、モンローの死後10年以上経過してからでした。

★アイン・ランドだけでした。1950年代から60年代にかけて活躍した(女性)知識人で、モンローを擁護して、モンローの死の直後に、このようにモンローの孤独な死を悼んだのは。マリリン・モンローを「美しい子ども」と形容したのはゲイの作家トルーマン・カポーティ(Truman Capote)でしたが、ランドも彼女のことを「幸福な子ども」「子猫」と形容しています。

★慣習的因習的思考を超えて事物を直視するアイン・ランドは、慣習的性的抑圧などに思考を妨げられませんでした。映画史上初めて出現した「女の子であることを無邪気に明るく生き生きと陽気に楽しむセクシーな天使」を愛しました。同時に、その天使を認めることができない偏狭な人々の「生き生きとした生」への憎悪も見抜いたのでした。因習打破的な美しい女性をバッシングするのは、根暗男と馬鹿女の嫉妬でしかない。悔しかったら、チャーミングになってみろって!陽気で無邪気でセクシーで美しい女ほどに素晴らしい生き物が、この地球上にあるだろうか? ない!!モンローは人間に殺された女神でした。