Ayn Rand Says(アイン・ランド語録)

第13回 次の新人類はどうなる?  [09/14/2008]


I am not a student of the theory of evolution and, therefore, I am neither its supporter nor its opponent. But a certain hypothesis has haunted me for years; I want to stress that it is only a hypothesis. There is an enormous breach of continuity between man and all the other living species. The difference lies in the nature of man’s consciousness, in its distinctive characteristic: his conceptual faculty. It is, as if, after aeons of physiological development, the evolutionary process altered its course, and the higher stages of development focused primarily on the consciousness of living species, not their bodies. But the development of a man’s consciousness is volitional: no matter what the innate degree of his intelligence, he must develop it, he must learn how to use it, he must become a human being by choice. What if he does not choose to? Then he becomes a transitional phenomenon---a desperate creature that struggle frantically against his own nature, longing for the effortless “safety” of an animal’s consciousness, which he cannot recapture, and rebelling against a human consciousness, which he is afraid to achieve. For years, scientists have been looking for a “missing link” between man and animals. Perhaps that missing link is the anti-conceptual mentality. (“The Missing Link 1973” in Philosophy: Who Needs It)


(私は進化論を勉強しているわけではないので、進化論には賛成でもないし反対でもない。ただ、長年の間、私の頭にとりついて離れない仮説というものがある。あくまでも仮説でしかないのだが。人間と他の現存する生き物の連続性には、とてつもない溝というか断絶がある。人間と他の生き物を分ける違いは、人間の意識という性質にある。際立って特徴的な、その性質にある。つまり、概念化できるという能力のことである。これは、まるで、生理的にいろいろ発展してきた数々の時代を経て突如として、進化の方向が変わったようではないか。より高い段階の発展が、身体ではなく、生き物の意識に焦点を置くことを主眼とすることに決めたようではないか。しかし、人間の意識の発展は意志的なものだ。どれほどの高い知力を内に秘めていようと、その知力を成長させるのは人間だし、知力の使い方を人間は学習しなければならない。人間は自分で選んで人間にならなければならない。もし選ばないとすると、どうなるのか?そのときは、人間は、つかの間の現象になる。通過するだけの現象になる。動物の意識のような努力無用の「安全」に憧れ、人間の意識に反逆し、自分の本質に逆らうことに血眼になるような救いようのない生き物になる。動物の意識など取り戻せないのだ。人間である彼が手に入れるのを怖がっているものこそ、まさに人間の意識なのだ。長年、科学者は動物から人間にいたる大いなる進化の鎖の断絶をつなぐ「失われた環」を求めてきたのだが、その鎖の失われた環というのは、概念化という機能に抵抗する心性なのだろうか。)

★と、アイン・ランドは言っていますが、鉱物にも植物にも動物にも意識があるという説もあります。「水」に「ありがとう」とかの肯定的言葉を言うと美しい結晶ができるが、「バッカも〜〜ん!」とかの汚い言葉を浴びせると醜い形になるという説もあります。「水はなんも知りません!」とそれを真っ向から否定する説もあります。

★鉱物にも植物にも動物にも意識があるのならば、細胞にも意識があるってことでしょうか?ならば、私が私の脂肪に、「アホ〜!ボケ〜!豚!」と言い続けると、脂肪は怒って意固地になって余計に居座るのでしょうか。「ありがとう、お世話になりました、さようなら〜〜」と言い続ければ私は痩せるのでしょうか。そこんところ、はっきりさせていただきたいと切実に思いながら、初秋のサツマ芋と学生さんから贈っていただいた20世紀梨を食べるのは、一日に2個だけにしておこうと自制する私。

★ともあれ、意識して、考えたすえに、つまり概念化したすえに、自分の概念を実体化するべく環境に働きかけるのは人間だけです。だから、類人猿とホモ・サピエンスの間にある存在は、(その骨は未だ発見されていないけれども)「猿ではないが、考える能力がない人間みたいな亜人間」なのだ、というのがランドの仮説です。

★あの、めっぽう面白い科学啓蒙書『神は妄想である』(The God Delusion:垂水雄二訳・早川書房、2007)を書いたリチャード・ドーキンス(Richard Dawkins)の著作を何冊か読んだことがありますが、累積的進化の過程で、どうやって「意識」が生まれたのかについての説明に関しては、ちょっと曖昧だという感じを私は持ちました。明晰一刀両断西洋合理主義近代啓蒙精神のモンスターぶりにおいて、アイン・ランドより徹底していて、アイン・ランドより論理がはるかに緻密なドーキンス博士ですから、いい加減なことは言えないので、曖昧にならざるをえないのでしょう。

★それにしても「意識して考えて、概念化して、概念を現実に生かす」という能力は、ほんとにすごい。だって、神の力に近いようなものではないですか。そうでしょう? 数ある類人猿の中の一匹の脳が、ウイルスか何か、とてつもない刺激を受けて、それが遺伝され広がったのでしょうか。一匹だけではなく、ある程度の数の脳が同時期に刺激を受けたのでしょうか?太陽光線に何か混じっていたとか?それとも、突然変異でしょうか?

★あまりに長い時間の中で累積された進化の結果が、突然変異のように見えるだけであって、意識や思考は突然変異によって生じたのでもないし、高度な知性体が宇宙からやってきて類人猿のDNAに介入したわけでもないし、大いなる創造者の手が加わったわけでもない、とドーキンス博士は言います。

★私が偏愛する日本アニメの傑作『攻殻機動隊』(The Ghost in the Shell)は、最高の人工知能を装備したコンピューターの中に生まれてしまった「高次な意識」が、無機質の機械の中に生まれてしまった「霊的実体」が、単なる自分の複製ではなく、他者との交合による再生産(生殖)を求めて、ヒロインのサイボーグ草薙素子を求めるという、風変わりなラヴ・ストーリーです。あのアニメは、累積的進化のすえに意識を持つ生物を生んだ世界の転写なのでしょうか?

★「意識して考えて、概念化して、概念を現実に生かす」という能力が発生した理由はさておき、問題は、アイン・ランドが示唆しているように、「人類が人類をやっていない」ということなのですね。「意識して考えて、概念化して、概念を現実に生かす」という能力をちゃんと活用していないということですね。

★ということは、現存する人類というのは、「心はあるが、ただそれだけ」の存在から、「意識して考えて、概念化して、概念を現実に生かす」能力を活用している人間にいたるまでの幅広い能力差のある生物種であって、中途半端な不完全な生物種であって、「過渡期にいる種」なのかもしれません。

★ということは、次に来る「新人類」は、「意識して考えて、概念化して、概念を現実に生かす」能力を完全に徹底的に解放できる存在なのかもしれません。つまり、思ったらすぐ実現できちゃう人間。これだけの本を読破して理解なんてできないとは思わずに、できる!と思って、できてしまう人間。べつに戦わなくたって競わなくたって、幸福になれるし、ほんとうに欲しいものは手に入ると思って、そうなってしまう人間。自分の国が覇権国にならなくても平和と繁栄を享受できると考えて、そうなってしまう人間。これは、ほんとに神様ですね〜〜神人ですね〜〜♪

★この種の人間が大量に出現したら、下らないことを思って自分を小さくして、他人の生をも収縮させることにやっきとなる類の人類は旧人類として駆逐されるというか、無視されるというか、忘れさられるというか、テキトーに放し飼いされている家畜になるというか。

★なんで、こんなこと思ったかといいますと、夏の盛りに読んで面白かった中矢伸一氏著『日月神示完全ガイド&ナビゲーション』(徳間書店、2005)に、未来に世界大改造が起きて、人類は半霊半物質の超人類に進化するって書いてあったのですね。そのとき、私は20年前に読んだ(例のノストラダムスの大予言の)五島勉氏の『1999年以後』(祥伝社、1988)を思い出しました。この本は、かのナチス第三帝国のアドルフ・ヒトラーの予言を紹介して、非常に面白いものでした。ヒトラーってのは霊能者だったそうですよ。

★1930年代に、ヒトラーは、未来の「東方」に「永遠にオトナにならない人間集団」が発生するとか、東アジアで(ドイツの誇りだったはずの)自動車産業が繁栄するとか、「女が男みたいになって、子ども生まなくなる」とか予言しました。これは、あたりましたね。『1999年以後』出版当時には、まだ今ほどには、少子化の問題も、韓国や台湾の東アジア諸国の経済的成功も、オトナにならないオトナの問題も、顕在化していませんでしたから、著者の五島さんがヒトラーが言ったと捏造したとは言えないでしょう。

★ヒトラーの予言の中でも一番面白いものが、次のものです。2038年くらいには、人類は徹底的な二極化を終えている・・・超人、神人みたいに心も脳も解放され豊かで幸福を満喫する人間と、(主体的に生きているつもりで)操作されてクルクルパーになって、テキトーに管理されるロボット人間たちに、人類がはっきり別れている・・・

★ふ〜ん・・・これは「闇の勢力」の支配による人類家畜化計画の完成でしょうか?それとも超新人類の発生でしょうか?かつて、ネアンデルタール人(ホモ・ネアンデルターレンシス)とホモ・サピエンスが同時に存在する時代があって、ネアンデルタール人が負けて絶滅したという説がありますが、それに似たことが21世紀の半ば近くから始まるということでしょうか?いや、すでに、その二極化は静かに始まり進行している?

★私が愛する作家Mark Twainは、晩年に書いたファンタジー『不思議な少年』(中野好夫訳、岩波文庫)の中で、主人公の悪魔の少年に「この世界に起きることは、みな夢なんだよ。君たちの思惟が作る夢でしかないよ。人間が持っているのは、この夢見る力、思う力だけなのに、人間は、なんで悪い夢ばかり見てきたのかな?どうせ見るのならば、いい夢だけ見ればいいのに」みたいな内容のこと言わせました。いい夢だけ見ることができる人類が、いいことだけ思う人間が、来るべき新人類、超人類でしょうか?で、どうしても、ろくでもないことしか思えない人間は、テキトーに生かさず殺さずで食わせてもらってマトリックスの中で生きていくと・・・人類の進化の方向としては、けっこう説得力があるような気がします。

★しかし、日本の神道系の予言と、ヒトラーの予言に重なるものがあるというのは、非常に興味深いですね・・・