Ayn Rand Says(アイン・ランド語録)

第14回 アイン・ランドは「知識人」が嫌い?  [09/21/2008]


Socialism is not a movement of the people. It is a movement of the intellectuals, originated, led and controlled by the intellectuals, carried by them out of their stuffy ivory towers into those bloody fields of practice where they unite with their allies and executors: the thugs. What, then, is the motive of such intellectuals? Power-lust. Power-lust---as a manifestation of helplessness, of self-loathing and of the desire for the unearned.(“The Monument Builders”in The Virtue of Selfishness: A New Concept of Egoism)


(社会主義は、人民の運動ではない。社会主義は、知識人の運動である。知識人によって生み出され導入され管理された運動である。息苦しい象牙の塔から抜け出してきて、実践という血だらけの原野にやってきた知識人によってもたらされた運動である。彼らは、その原野で、同類の徒や死刑執行人たち、つまり刺客たちと結びついたのだ。では、このような知識人たちの動機とは何なのか?権力欲である。無力の表明としての、自己嫌悪の表明としての、自分の努力で獲得せずに欲しがることの表明としての権力欲である。)

★最初一読したときは、この文が何を言っているのか、私にはわかりませんでした。でも、だんだん、わかってきました(ような気がする)。それは、アメリカの社会学者が書いた「アメリカにおける社会階級」に関する本の一節を思い出したからです。

★確か、そこには、「知識人とか大学教授というものほど、内心では富裕層に憧れている人間はいない。彼らは教養や美意識はあっても、高級な文化を享楽できるカネがない。だから自分たちのことを、<精神的貴族>とか<階級X>とか呼ぶ」と。著者は誰だったかなあ〜〜ポール・ジョンソンだったかな?記憶力がなくて申し訳ありません。

★その一節を読んだとき、私は「内心では、ではないだろ〜〜あからさまに憧れているだろ〜〜知識人とか大学教授じゃなくたって、無名の金持ちって状態が一番自由なんだから、誰だって、そういう立場になりたいと、はっきり思っているだろ〜〜」と、思いました。大恐慌が来ようが、疫病が広がろうが、核戦争が起きようが、びくともしないようなinvincible capital & residenceを所有して、世界の大混乱なんか気が向いたら見物してあげるよ〜〜という状態が理想でしょーが。「精神的貴族」なんか、しょーもない。何だ、それ『小公女』のセーラか。「階級X」なんて存在しない階級なんだから、幽霊みたいなもんだろ〜〜さっさと死ねばいいんだよ。

★でも・・・そういえば、私が知っている限りの「知識人の有名人」(有名大学教授とか)って、「金のことはどうでもいいんですよ」とか「私、物欲がないんです」とか言うのが多かった・・・やっぱり、頭のいい人たちって違うのですね〜〜私なんか「問題は金だ」と思っているし、物欲ばっかりだもの。ホームレスが好きなだけ泊まっていられるお城が欲しいよ。で、私は各部屋を回って、「どうしてこうなりましたか?」とインタヴューして深い話を聞きだしたい。退屈しないよな。

★ところで、ものすごくお勉強ができて、学校では向かうところ敵なしだった人間が実世間に出て、「持っているのは知識だけの貧乏人、実質的には無力非力の大衆」である自分自身を意識してしまったら、どうなるでしょうか?ものすごい怒りと怨念が胸を焦がすのではないでしょうか。「学校ではスターだったのに!」って。

★この種の人々でも、「金銭とか富を求め、それを楽しむことは知的なことではないし下品である」という言説を本気にしなかった人々は、実業界とかに飛び出して、優秀な頭脳を生かして企業内出世や起業をするのでしょうが、それほど脳の筋肉がタフではない人々は官僚になるか、東大とか京大とかの有名大学のセンセイになります。

★官僚になった「持っているのは知識だけの貧乏人、実質的には無力非力の大衆」であるインテリは、いろいろ我慢して勉強したし、残業ばっかりなのに、この程度の給料じゃやってられないよ、ということで税金公金を湯水のように使う権限をふるいたがります。天下り先の確保もしっかりと各種団体&公益法人を作りまくります。資本主義国家においても、官僚がしていることは、官僚支配の統制経済、国家独占資本主義(=社会主義)に限りなく近づくように、規制を増やして、自分たちの権限を増大拡大させることだけです。

★富を自力で求める能力があるほど優秀でもタフでもないから、人のふんどしで相撲とる官僚になるんですね〜〜まさに、アイン・ランドの言う「無力の表明としての、自己嫌悪の表明としての、自分の努力で獲得せずに欲しがることの表明としての権力欲」のなせる業ですね〜〜

★有名大学のセンセイとか、いわゆる「知識人」になった人々は何をするかと言えば、せっせと「富裕層の貪欲、罪」を非難して「弱者救済」を訴える「いい子ぶりっ子」になります。大学人に、文化左翼とか心情左翼が多いのは、そのせいです。実社会で戦う気力も能力もないので、センセイやっているしかないのですが、頭の切れる学生は彼らや彼女たちなど、心の中では相手にしていません。大学院なんかに入って人生を無駄にするのは、お勉強はできますが頭は悪い優等生です。

★帝政末期のロシアの知識人は、Russian Formalistとか何とか呼ばれたりして、世界のインテリの最先端でした。今だって、インテリの水準はすごいんじゃないかな。2005年にロシアに行ったときに、国立サンクト・ペテルブルク大学(プーチンの母校)の日本語学科の学部学生数は10名くらいで、大学院には半分くらいが進むと聴いたことがあります。「ソ連邦崩壊前は、日本語学科の学部学生数は5名でした。今は優秀でない学生からは授業料を徴収できるようになったので、大学経営上、入学者数が倍増しました。こんなに学生数が多いのではまともな教育はできません」と、そこの准教授の方が嘆いておられました。学部学生数10名で多すぎるとは!!私は絶句しました。そのとき、日本の大学のことを考えるのはやめました。心臓に悪すぎる。

★それはさておき、19世紀末期の帝政ロシアのものすごい頭脳の持ち主たちは、ロシアのありかたに義憤を感じ社会改革をほんとうに望んだのでしょう。働く人間が報われる社会建設を目指して、革命運動に参加したのでしょう。その正義感に嘘はなかったと思います。実世間を知らない「お金のないお坊ちゃん」たちですから、共産主義の理想に与したのは、あくまでも善意からだったと思います。主観的には。

★同時に、やっぱり、「こんなに、俺たちは優秀なのに、正しいのに、なんでカネがないの?」と、カネを持つ皇帝や貴族やブルジョワたちに激しく嫉妬していたことも事実だったのでしょう。『罪と罰』のラスコーリニコフの怒りなど及ばないほどの深い怒りが心の奥底にあり、かつそれに無自覚であったかもしれません。自分の嫉妬心や復讐心を意識していれば、皇帝や貴族はさておき、ふつーの初代で成り上がったような程度のプチ・ブルジョワ市民層の財産まで没収するような極端なことはしなかったかもしれません。

★しかし、ロシアの知識人は、アイン・ランドの言う「無力の表明としての、自己嫌悪の表明としての、自分の努力で獲得せずに欲しがることの表明としての権力欲」の罰を受けました。そうです。徹底した粛清を受け、殺されました。シベリアの強制労働所に送還された知識人もいます。アイン・ランドの最初の(中篇)小説のWe the Living(1936)に、革命期のロシアの混乱の中で心も脳も窒息させて滅んでいく若いインテリたちの姿が描かれていますので、ご興味のある方は、ご一読を。

★私の3ヶ月年下の師匠である副島隆彦氏は、数ある著作のなかの傑作のひとつである(と私が勝手に思っている)『決然たる政治学への道』(弓立社、2002)の中で、以下のように書いておられます。「なぜ、ロシア知識人は根絶やしにされたか」というタイトルの文の一部です。長いですが、引用させていただきます。

(引用始め)
私は、大学生の時に、この「財産の不可侵が自由を保障する」という主旨で、小論文を書いたことがある。1976年のことである。そのとき、まだソビエト帝国はあったし、ソビエト共産党体制は、世界中の人々から憎まれ、嫌われながらも厳然と存在していた。私は、その小論の中で、なぜソビエト市民(ロシア人)たちは自由を奪われたのか、を考えた。そして、答えを出した。それは、ロシアの知識人層の人々が、ロシア革命のとき、一瞬だが、「共産主義の理想」に共鳴し自らのめり込んでしまって、まんまと、ソビエト共産党にだまされてしまったからである。彼らは、人類の理想社会の実現という幻想に囚われてしまって、ヨーロッパの長い伝統を持つ個人財産権を、自ら、ソビエト共産主義国家に向かって放棄してしまったのだ。私は、パステルナーク原作の『ドクトル・ジバゴ』の映画を観ていて、このことを思いついた。

こうして、個人のもの全てが、国有財産になってしまった。土地も建物も、自分たちの住んでいるアパートも国有となり、勤める企業も団体も全て国営になってしまった。こういう状況でどうやって、「個人の尊厳」や「精神の自由」を主張して、共産党政権や。残虐なスターリン主義官僚体制を敵に回して闘うことができるだろうか。反抗すればすぐに、国営アパートから追い出されるし、職場をクビになる。裁判所に訴えても、一週間も抗議を続けることができない。もし、これが、ヨーロッパの伝統に従い、「個人財産の不可侵」が守られていたならば、少なくとも自分の財産を食いつぶすまでの二年間でも、ソビエト体制に対する戦いをつづけられたはずなのだ。これが、ロシア知識人層が歴史的にはまった最大のワナだった、と、私は学生の頃に書いた。(『決然たる政治学への道』253-54より)
(引用終り)

★副島隆彦氏が大学生時代に考えたことは、イザベル・パタソン(Isabel Paterson:1886-1961)というカナダ系アメリカ人女性作家&思想家が書いていることと同じです。日本では全く未知のこの女性は、今でもアメリカでは読まれ続けている政治思想書The God of the Machine(1943)の著者です。パタソンは、「言論の自由といっても、自分が自由に立って話せる場所、聴衆が自由にいる場所が確保されていないのならば、実践しようがない。自分の家とか部屋などの物質がなければ、言いたいことなど言えない」と書いています。

★個人の所有権なくして言論や思想、信条の自由は成立しない例として、同じ例をマーレイ・ロスバード(Murray Rothbard:1926-95)も使っています(偶然かな?パクリ?)。実はアイン・ランドの思想のかなりの部分は、イザベル・パタソンから学んだものから成っています。実は、パタソンはアイン・ランドの師匠でした。ランドはロシアの超有名大卒ですが、パタソンは全くの独学です。小学校ぐらいしか通ってないです。ランドの次は、この女性が私の関心の矛先です!

★それはさておき、副島氏は「ロシアの知識人層の人々が、ロシア革命のとき、一瞬だが、「共産主義の理想」に共鳴し自らのめり込んでしまって、まんまと、ソビエト共産党にだまされてしまった」と書いておられますが、ランドは、そこまでロシアの知識人に対して甘くありません。ランドは、彼らの心の奥にあった「権力欲」を指摘しました。

★サンクト・ペテルブルクの中心地にあるアイン・ランドの一家が住んでいたアパートメント(2006年夏には、まだあった)には、革命後に知らない人々がドヤドヤと移り住んできて、彼女の家の私財を、その「同志ナントカさん」たちが売り払ったり、持っていってしまったりしました。父が、ユダヤ人の大学入学制限が厳しい時代に大学に入り苦学して化学を修めて薬局を経営して、やっと獲得した広いアパートメントが無茶苦茶になりました。その光景は少女時代のランドの心に苦く重く刻まれました。

★日本の高い相続税制なんか、貧乏だけど勉強だけはできた根暗の優等生が官僚になって作った制度でしょ?何も相続できない親から生まれたカネ稼げない誇り高いインテリの正義観から生まれた悪法でしょ? って言っていいの?いいんだよ。

★未だに、社会主義だの共産主義だの高度福祉重税体制だの統制経済体制だの、各種の集団主義を推奨する知識人って、気がしれません。自分で自分の首を絞めるようなものです。ソ連にせよ、中国の文化大革命にせよ、カンボジアのボル・ポト政権にせよ、集団主義国家体制においては「口だけ達者の無能な知識人」を遊ばせておく余裕はないのです。特権層以外は、み〜んないっしょに管理されて、行かさず殺さずのレヴェルで生存する(=半分死体)のが集団主義社会なのですから。ほんとに優秀でタフでガンガン稼げる人々が作り上げていくダイナミックな富が還流する自由な余裕ある社会でなければ、「カネ稼げない誇り高いインテリ」は棲息させてもらえません。テキトーに遊ばせて放置しておいてもらえません。

★ところで、大恐慌が近づいているようです。またまた、役人さんたちが「無力の表明としての、自己嫌悪の表明としての、自分の努力で獲得せずに欲しがることの表明としての権力欲」をあからさまにして、統制しようとしているようです。副島隆彦氏の『恐慌前夜』(祥伝社、2008)を、是非ともお読みください。