Ayn Rand Says(アイン・ランド語録)

第22回 合理的な女は大統領になりたくないとアイン・ランドが思う理由(その3)  [11/16/2008]


Now consider the meaning of the presidency: in all his professional relationships, within the entire sphere of his work, the president is the highest authority; he is the “ chief executive,” the “commander-in-chief.” Even in a fully free country, with an unbreached constitutional division of powers, a president is the final authority who sets the terms, the goals, the policies of every job in the executive branch of the government. In the performance of his duties, a president does not deal with equals, but only with inferiors(not inferiors as persons, but in respect to the hierarchy of their positions, their work, and their responsibilities).

This, for a rational woman, would be an unbearable situation. (And if she is not rational, she is unfit for the presidency or for any important position, anyway.) To act as the superior, the leader, virtually the ruler of all the men she deals with, would be an excruciating psychological torture. It would require a total depersonalization, an utter selflessness, and an incommunicable loneliness; she would have to suppress ( or repress) every personal aspect of her own character and attitude; she could not be herself, i.e., a woman; she would have to function only as a mind, not as a person, i.e., as a thinker devoid of personal values---a dangerously artificial dichotomy which no one could sustain for long. By the nature of her duties and daily activities, she would become the most unfeminine, sexless, metaphysically inappropriate, and rationally revolting figure of all: a matriarch. (“About a Woman President” in The Voice of Reason: Essays in Objectivist Thought)


(では、大統領という立場が意味することを考えてみよう。大統領という職業に関わる人間関係において、つまり、彼の仕事の範囲全体において、彼は最高の権威である。大統領というのは、「政府の最高責任者」であり「全軍の最高司令官」である。十分に自由な社会においてでさえ、立法、司法、行政の権力が犯すことのできない憲法で分立されている状態においてでさえ、大統領なる人間は、政府の行政機関における言葉、目標、政策を設定する最終的権威者である。義務を遂行するにあたって、大統領は、自分と対等な人々と交渉しない。相手にするのはすべて自分より劣位にある人々である(人格ある人間として劣位にあるのではなく、立場、業務、責任の階層において劣位にあるということだが)。

まさに、<このこと>が、合理的女性にとって、耐え難い状況となるであろう(ただし、非合理的女性は大統領の職に不適格だし、重要な立場ならどんなものにも、不適格であろうが)。優越している立場として、指導者として行動すること、自分が対処する人間すべてに対して<統治者>としてふるまうことは、彼女にとっては、心理的に激痛を伴うような責め苦であろう。それは、まったき非人格化を必要とするであろう。完璧な無私を必要とするであろう。誰とも分け合うことができない孤独を必要とするであろう。大統領になった女は、自分の人格や態度の、あらゆる個人的様相を隠す(もしくは抑圧する)ことをしなければならない。大統領になった女は、彼女自身でいられないのだ。つまり、ひとりの女でいることができないのだ。大統領になった女は、ひとつの<頭脳>として機能しなければならない。ひとりの人間としてではなく。つまり、私人である個人の価値観のない思考者として機能しなければならなくなる。これは、どんな人間でも、長くは維持できない危険で人工的な矛盾である。彼女は、大統領たる彼女の義務と日々の行動の本質において、すべての人間存在の中で、もっとも非女性的で、もっとも性的なありようから遠く、もっとも形而上的にふさわしくなく、かつもっとも道理をわきまえた忌まわしい人物になるであろう。つまり、「女家長」だ。老婆の家長だ。)


★第20回から続いた話題の完結編です。前回は、ランドが考える「女らしさ」は「英雄を崇拝したい欲望」だということを紹介しました。それは、藤森かよこ式に言えば、「眉目秀麗な怖いほどの俊才の男の子に憧れて勉強する真面目な優等生の面食いの女の子」のありようであるとも書きました。アイン・ランドは少女趣味であると書きました。ごめんなさい、ランド先生。

★アイン・ランドという女性は、いわゆる「男まさり」の人生を送った人物です。亭主食わせて、弟子育てて、自分の死後も弟子食わせて、ついでに極東の島国の、47歳になっても、どうやって生きていけばいいのかわからなかったアホなオバサン(私)まで立ち直らせたのだから、どれだけの数の人間の面倒を見たか、もしくは、見てきたかわからない女傑です。

★なのに、にも関わらず、この女性らしさ!あくまでも自分に正直な、いいカッコしない、強がらない、この素直さ!可愛らしい方ではないですか。好きだなあ〜〜

★アイン・ランドのこの「国家のトップになるのは、自分を大事にしたい女(=合理的な女)には過酷」説には説得力ありますよね。G.リットン ストレイチー(Giles Lytton Strachey)著・福田逸訳の 『エリザベスとエセックス---王冠と恋』 (中公文庫)は、エリザベス1世の素顔というか、リアルな女王像が描かれていました(多分、事実に近いのではないかと思う)。この女性は、私たちがイメージするような「大英帝国の礎を築いた英邁聡明冷徹な名君」でも才女でもなかったようです。実に優柔不断で、煮え切らない君主だったそうです。決断すると結果が出て、責任を問われるから、ひたすら問題は先送りで、そのうち状況が変わって彼女に都合よく展開しただけのことだったらしいです。運が強かっただけみたいです(まず、国家たるもの、平和と繁栄が欲しい場合は、運のいい統治者を持つしかありませんね〜〜)。

★ついでに、この女王様は、側近やお気に入りの言葉にすっごく左右されるし、相手が30年ぐらい年下の男(エセックスちゃん)でも、好きになると甘やかすと同時に、自分も甘えたがりで、そのくせ、その自分が甘やかしてチヤホヤしたからこそ勘違いして思い上がった男にワガママされるのは大嫌いで、最後には処刑しちゃってるような、大人げのない感情の起伏の大きい勝手な女性だったそうです。

★この女性も好きだなあ。可愛いですね。きっと周りの臣下の男たちは、「バッカじゃないの、こいつ。僕が守ってあげなくては・・・」と思ったことでしょう。このように、部下や臣下や男に思わせるのが、指導者とか統治者とか女の「徳」というものです。

★こういう、ふつーの可愛い(あくまでも、もっぱら)強運の凡人に歴史が、政治が左右されてきたのですね。きっと、今もなお。かつ、これからも。

★私自身の見解はといえば、「生理終っているような女が、何を軟弱なこと言っとるんじゃ。そんな可愛いこと言っても、キモイんだよ!開き直れって!はっきり言って、若くて美しい女だけが女だ!あとは、みんな男だ!臆することなど何もない!何でも、やりたければ、やればいいのだ!」で、あります。ははは。

★さらに、私自身の見解はといえば、「世に大統領も首相も女王も多かろうが、誰も、そこまで真剣に職務のことなんか、考えてもいないし、やってもいないわ!自分の義務や権限の重さを考えたら、怖くて、そんな地位につけるか!マックス・ヴェーバーの『職業としての政治』(脇圭平訳・岩波文庫)を読んだら、気楽に政治家になぞ、なりたがるはずないわ!オッチョコチョイの勘違いの身の程知らずだからこそ、そんな無謀なことやれるんじゃ!真剣に考えるからこそ、私には無理だわ・・・やりたくないわ・・・と思っている人間がやって、ちょうどいいかもしれないんだ!」であります。

★さらに、さらに、私自身の見解はといえば、「しかし、そういう良心的な奴は、男だろうが女だろうが、何が何でも政権を権力を握って離さず、この政策だけは実行するぞ!という粘りや執念や意地がないから、駄目だな。政治家というのは、国民を愛しつつ、国民に奉仕しつつ、国民がいかにアホか認識して国民を無視して断行するという、神と悪魔の共存みたいな分裂症的仕事しないといけないんで、性格は悪くならざるをえないから、<いい子ぶりっこ>したい女には無理だな〜〜だいたい丸太みたいな神経した厚かましい、どんなときでも大量に食うみたいな野放図な女に限って、やたら<いい子ぶりっこ>するでしょう〜〜男は気が小さいくせに<悪い子ぶりっこ>するけどさ〜〜♪」であります。

★さらに、さらに、さらに、私自身の見解はといえば、「政治家は、いいことしても悪いことしても批判にさらされるから、それでもなおかつ自分を肯定できる神がかり的狂気がないと駄目だしなあ〜〜女は生き物としてバランスがとれているから、こういう狂人向き仕事は無理かもね〜〜〜♪狂人の女では、選挙に勝てないしなあ〜〜」です。

★さらに、こうも言いたい。「別れた女をマスコミに売るような程度の高校の教師とSMごっこしていた、民社党選出の、どこかの可愛い奥さんみたいなのでないと、票は取れないんでしょう〜〜そんな貧乏臭い男と寝るなよ!男選べよ!こういう奥さんを担ぎ出す政党も情けない〜〜でもなあ、傑出した理解しがたい非凡な女は不可解だから、一般受けしないから、男からも女からも投票されないでしょう〜〜政治綱領と政策で、政治家を選ぶという、近代国家の国民にならないと、男にせよ、女にせよ、優れた政治家は出てこないよ〜〜みんな国民の程度が低いせいだよ〜〜麻生首相がああなのは、日本国民の自業自得なんだよ〜〜だいたい、東大受かってあたりまえの環境に生まれ育って、なんで学習院なんだ?ざけんな!!漢字読めない奴を、よく総裁にしたよな〜〜そんな政党ありえね〜〜〜〜!」と。

★「英雄を崇拝したい。英雄はどこ?」なんて言っている女性は、男を求めているのではなくて、自分の魂の中にいる理想の男の像を、生身の男に投影しているだけのことだと、私は前回に示唆しました。ユング心理学でいう、「アニムス」ですね〜〜ならば、その英雄を、他人に求めてもしかたない、自分の魂の中に求めよう、自分が英雄になってしまえばいいんだと認識した女ならば、英雄崇拝なんてものから、解放されます。

★女性のみなさん、とびきりの男前は、あなたの中にいます。あなたがヒーローです。

★結論です。アイン・ランドの女性観は、私からすると、やっぱり西洋的。「騎士に守ってもらうお姫様」の残滓(ざんし)があります。あいにくと、日本の民話や伝説のお姫様の役目は、守ってもらうのではなくて、守ってあげることなの。美智子皇后を見よ。あそこの嫁さんも、亭主困らせるみたいな、弱い者苛めしちゃいけないよね〜〜帰国子女とか、(人の褌で食う傾向のある)役人の娘ってのは、アジアの女としての覚悟がないよね〜〜生命力の強い生き物としての自覚と使命感がないよね〜〜言うよね〜〜♪

★私は、「日本の女」のかなりは、というか「アジアの女」のかなりは、父性も男らしさもない男(家庭の中では、男も<英雄>はやっていられませんよ。寛ぎたいばかりでしょー)をお守りして立てて、その男の子どもを生み育て、その男の親を看取り、「女家長」を黙って遂行していると思います。

★その意味でアジアは、Dragon Ladyばかりだと思います。ふつーの年配の主婦の方々の中に、「この人ならば、政治家でもできるのに。首相でも大統領でもできるのではないかな?」と思わせるような、優れた資質の方がおられます。

★ヒラリー・クリントンさんもさあ、亭主を大統領にしてから、次は私・・・なんてことしてるから、オバマさんに負けるんだよね。ベビーブーマー世代の「いい子ぶりっ子優等生恋愛妄想系中途半端インテリ女」って、見ていても矮小な感じで、面白くないからさあ。その点、あのアラスカの知事さんは、「たたき上げ」だけあって、アジア的Dragon Ladyの女家長の趣があって好きだな。あの人ひとりで、一族郎党全員食わせているって感じ。デキの悪い妹の亭主のDV男の解雇命令出すのなんか、当然だろ〜〜そんな義弟、マフィアに依頼してミンチかタルタル・ステーキにしてもいいぐらいだわさ。

★アイン・ランドの人生は、しっかりDragon Ladyなのに、「合理的な女は大統領になんかなりたくないものよ〜〜」と可愛らしいこと言っているなんて・・・う〜〜ん、アイン・ランド先生は複雑な方です。

★ああ・・・The Virtue of Selfishness: A New Concept of Egoismの翻訳『利己主義という気概---エゴイズムについての新しい概念』出版にかかわる仕事が、もうすぐ終ります。それが終ったら、『三国志』の映画化『レッド・クリフ』を観に行くぞ!購入したが、仕事があるので、まだ視聴していないDVDセット『Heroes』の第2シーズンを、むさぼり食うぞ!しかし、宮藤官九郎さんって、いまさらながら、才能あるテレビ脚本家だと感心しますね〜〜東野圭吾氏の原作の『流星の絆』(金曜日午後10時からです〜〜)を、あれだけハチャメチャにしながら、きちんと原作の結構を守り脚本家としての仁義は守っている。あの頭脳明晰な長男の役は二宮君もいいけど、三浦春馬君がやっても可愛いし、哀愁があるよね〜〜って何の話か?