Ayn Rand Says(アイン・ランド語録)

第26回 生きる  [12/14/2008]


“I've given up,” said Irina, “and I'm not afraid. Only there's something I would like to understand. And I don't think anyone can explain it. You see, I know it's the end for me. I know it, but I can't quite believe it, I can't feel it. It's so strange. There's your life. You begin it, feeling that it's something so precious and rare, so beautiful that it's like a sacred treasure. Now it's over, and it doesn't make any difference to anyone, and it isn't that they are indifferent, it's just that they don't know, they don't know what it means, that treasure of mine, and there's something about it that they should understand. I don't understand it myself, but there's something should be understand by all of us. Only what is it, Kira? What? ”(VIII in Part II in We the Living

「私は諦めたわ」と、イリーナは言う。「だから、怖くない。ただ、できるなら理解したいことがあるの。そのことは、誰でも説明できることだとは思わない。ねえ、これで私の人生も終りよ。わかっている。だけど、これで終りだって信じられないの。ピンとこないのよ。すごく不思議だわ。ここに、人生があるとするでしょ。その人生を生き始めるとする。それで、生きることが、ほんとにかけがえがなくて、めったにないほどのことで、とても美しいことだから、聖なる宝物のように思えてくる。さて、とうとう、その人生が終る。おしまい。なのに、誰にとっても、そんなこと大差ないのよ。生きようが死のうが大差ないの。生きることに無関心だからじゃないの。ただ、わかっていないから、そうなるの。生きることが何を意味しているか、わかっていないから、そうなるの。生きることは、私にとっては宝物なのに。生きるってことについては、みんなが理解すべき何かがあるのに。それが何であるかは、私自身だってわかっていない。でも、私たちみんなが理解すべき何かがあるのよ。ただ、それが何なのか、ねえ、キーラ、何だと思う?」

★上記の文は、アイン・ランドが1936年に発表した最初の中編小説(ペーパーバックで464ページです)であるWe the Living(『我ら生きるもの』)からの抜粋です。この小説は、最初はRed Pawnという題の映画用シナリオでした。『赤いポーン』・・・つまり、チェスの駒として使用されるように(赤い)共産主義革命に翻弄される個人の悲劇を描いたシナリオでした。ご存知、1930年代のアメリカは大不況期でしたから、多くの人々が、社会主義に希望といいますか大いなる幻想を抱いていました。The Red Decade「赤い十年」と言われた時代です。

★ハリウッド映画産業界は、昔も今もユダヤ系ロシア人(Russian Jews)のメッカです(現在のロシアに行けばわかりますが、ハリウッド映画のスターの顔立ちの原型は、ロシアの若者たちの中に、おびただしく発見できます)。ですから、ソ連賛美の映画は製作されても、現実のソ連を描いたアイン・ランドのシナリオなど、見向きもされませんでした。ハリウッドの映画人の多くを占めていたユダヤ系ロシア系アメリカ人たちは、革命前のロシアからの移民でしたから、革命後のロシアの現状を知りませんでした。故国からのプロパガンダに乗せられていました。遠くのものが綺麗に見えるのは、ましてや故国を美化するのは、人の常です。

★この小説We the Living(『我ら生きるもの』)は、革命期の混乱がまだ続いている1920年代のペテログラード(現サンクト・ペテルブルク)を舞台に、革命軍が樹立したソヴィエト政府による息の詰まるような全体主義体制の下に滅んでいく若者たちを描いたものです。

★イリーナ(Irina)というのは、この小説のヒロインであるキーラ(Kira)の同い年の従姉妹です。イリーナはキーラの母の妹の長女で、芸術を学ぶ学生でした。キーラは工学を学んでいます(そうです、キーラは『肩をすくめるアトラス』のヒロインのダグニーの原型です)。革命勃発時にキーラの家族はクリミアに逃げていました。どうせ、こんな理不尽な馬鹿げた騒ぎはすぐにおさまるから、ほとぼりが醒めるまでペテログラードを離れていようというのがキーラの父の判断だったのです。

★ところが5年たっても、革命勢力の衰えはありません。蓄えも尽き、売り食いも限界になり、キーラの家族はペテログラードに帰ってきますが、彼女たちの家族が所有していた高級住宅街にあるアパートメントは、政府に没収され、プロレタリアートと呼ばれる見知らぬ「同志」(Comrade)がいっぱい住んでいました。キーラの父が所有していた工場も、革命政権の政府に没収されていました。やむなく、キーラの家族(両親と、10歳年上の姉)は、キーラの母の妹家族が居住するアパートメントに居候することになったのです。イリーナは、いつもキーラの家族に温かく接してくれる聡明で快活な女性です。

★しかし、そのイリーナが、上記のことばを従姉妹のキーラに語るのは、G.P.U.(秘密警察のこと。ゲー・ペー・ウーと発音します)の独房の中なのです。彼女は、シベリアの労働刑務所に送還される前に、接見に来てくれたキーラに心情を吐露するのです。なぜイリーナはG.P.U.の独房などにいるのか?

★イリーナの恋人のサーシャ(Sasha)は、同志たちと密かに政府転覆を図る会合を開いてきました。反革命勢力は、かなり弱体化してはいましたが、1920年代半ばには、まだあちこちに健在でした。ブルジョワ階級の出身のインテリ青年たちは、帝政時代より、はるかに社会的混乱と不正と貧窮がはびこる新体制に、義憤を募らせていました。言論の自由など全くありません。冷酷過酷な監視社会、秘密警察社会が出現していました。革命の大義は地に堕(お)ちていました。サーシャたちの政治集会のアジトが秘密警察に露見します。サーシャは逃亡します。

★イリーナは、サーシャの隠れ家に食べ物を運んだりします。食べ物はいつも不足していて、イリーナも空腹から解放されることはないのに。イリーナにはヴィクター(Victor)という兄がいますが、この兄はソヴィエト体制のなかでの出世をもくろんでいるので、妹を裏切り、秘密警察にサーシャの居場所を密告します。このヴィクターというのは、『水源』のピーター・キーティングの原型です。ヴィクターは美しいキーラが好きですが、キーラに相手にされないし、妹からも軽蔑されている卑劣な馬鹿優等生です。

★イリーナとサーシャは逮捕され、弁護士もつかない裁判によって、シベリアの強制労働所での懲役10年を宣告されます。ふたりは、シベリアに送還される前に結婚します。もちろん、拘留されたままですから、式や披露宴があるはずはありません。ふたりは、シベリアに送還されれば、二度と生きては帰ることができないことを知っています。だから、せめて同じ刑務所に送られたいのです。たとえ離れ離れでも、同じ刑務所内にいると意識していることが、互いの支えになります。生きて自由の身になり再会することはないとしても、同じ刑務所にいるのならば、たまに遠くから姿を垣間見ることもできるかもしれません。だから、ふたりは獄中の中にいながら結婚することを選んだのです。

★しかし、裁判所は、故意にふたりを遠く離れた別々の刑務所に送ります。意味のない悪意です。悪意のための悪意です。復讐する根拠のない復讐です。そのような無意味な悪意と憎悪で動くような役人たちを大量に生み出してしまう質のものがソヴィエトの体制でした。ふたりが、別々の方向を目指す列車に乗せられ引き裂かれる場面は、涙なくしては読めません。今でも、思い浮かべると、涙が出てきます。ほんとに、アイン・ランドは泣かせるのがうまい作家です。

★みなさん、ソ連の詩人&作家でノーベル文学賞受賞者のボリス・パステルナーク(Boris Leonidovich Pasternak, 1890-1960)が書いたソ連では発禁になりイタリアで出版された小説が原作(1957)の、『ドクトル・ジバゴ』(Doctor Zhivago,1965)って映画をご覧になったことがおありですか?革命期のロシアの激動に翻弄される知識人の過酷な運命を描いた映画です。主役はオマー・シャリフ(Omar Sharif)です。巨匠のデイヴィッド・リーン(David Lean)監督による名画です。ジュリー・クリスティー(Julie Christie)って女優さんが演じたヒロインはほんとに素敵でした。この女優さんの演技パターンを真似したのが、往年の清純スター、俳優座の看板女優の栗原小巻さんです(と、私は確信しています)。お若い頃の小巻さんは、当時のジュリー・クリスティーそっくりに可憐で綺麗でしたよ〜〜ジュリー・クリスティー知らない?You Tubeで確認してくださいね〜〜

★『ドクトル・ジバゴ』は、涙なしでは見ることができない哀切な映画です。音楽も素晴らしい。まあ、冷戦期のアメリカが製作した反ソ連プロパガンダ映画ではありましょうが、いい映画です。映画らしい映画です。あの映画の原作者のボリス・パステルナークは、実は、このアイン・ランドのWe the Livingからヒントを得たのではないか・・・と、私は密かに疑っているのですよ・・・

★今のロシアにもアイン・ランドに関するウエッブサイトはすごく多いし、ロシア語版も海賊版みたいですが、ロシアのネット書店で販売されています。『水源』っていいよね〜〜と書いているブログもありますよ。ロシア語なんかできないお前が何を言うかですって?翻訳ソフトがいくらでもあるじゃないですか!世界中のアイン・ランドに関するネット言論を、Googleの翻訳機能で、ハチャメチャな日本語に変換して眺めるのは私の趣味なんですよ!

★「安.蘭徳」って何の意味かわかりますか?中国語でアイン・ランドのことを、そう表記するんですよ!美しい字面ですね〜〜♪中国語では、『水源』は『源泉』です。『肩をすくめるアトラス』は『阿特拉斯聳聳肩』です。『アンセム』は『一個人的頌歌』です。『利己主義という気概』は『自私的美徳』です。ははは・・・って何の話か。

★冷戦時代にも、ソ連の知識人は、ひそかに同胞のアイン・ランドの作品を入手して読んでいたと思うのですよ・・・だって、アラン・グリーンスパンがロシアに行って、当時のプーチン大統領に会ったときに、プーチンさんが「アイン・ランドが好きです」って言ったそうですから。アイン・ランドと大学が同窓のプーチンさん、いつランドの小説を読んだのか?70年代の大学時代か?ソ連崩壊前にも、アイン・ランドは、ソ連内で、少なくともサンクト・ペテルブルクなどのヨーロッパに近い地域では、知る人ぞ知る作家であり続けたのではないでしょうか?

★書く人間ってのはね、ほんとうに影響を受けた作家とか学者とか言論人のことは隠す傾向があります。その作家とか学者とか言論人が、メインストリームから外れている場合は特にそうですね。創作者の卑劣というか、嫉妬というか、心の闇というか、虚栄心というか、作為的忘却というか・・・正直でいるってことは、勇気を必要とします。ものを書く人間は、もっとも自分に嘘をつくのが巧みな人種ですからね。

★話題をもとに戻します。イリーナの言葉に戻りましょう。イリーナが理解できないのは、「生きる」ってどういうことか、です。さらに、生きることとは何かと問うこともしないほどに生きることに無関心な人々の魂のありようです。それは、生きながら死んでいないと生き延びることができないような質のソヴィエトのありようが原因かもしれませんが、現代のアメリカにも日本にも、生きることとは何かと問うこともしないほどに生きることに無関心な人々はいます。死ぬことに関しては大騒ぎしても、生きること、そのものの意味は考えないようです。

★他人のことはどうでもいいんであって、私は、生きるとは、何かと考えているのか?考えてもしかたのないことかもしれません。答えは出ないでしょう。根本的には「生きているだけで丸儲け」です。生きているだけで、あふれるような恩寵の中にいるのでしょう。生きているだけで、奇跡なのでしょう。私たちは、生きていられることだけ感謝して、目の前の雑事を、ひたすら処理していればいいのかもしれません。

★しかし、どんなに忙しくても1日に1時間は沈黙して孤独の中で、「生きるってどういうことか」と考えたいです。自分が生きていることを、まさに宝物のように慈しみ、このような思いを、また他の人々も抱えて生きているのだということを忘れないようにしたいです。このような思いを抱えて生きて死んでいった人々によって引き継がれてきたこの社会や世界のことを考えたいです。

★人間って、孤独な沈黙の時間の中で、他人と世界と結びつくのかもしれませんね。集団主義とか全体主義という体制は、個人が孤独の輝かしい充実と、その充実から得た思考の広がりによって生まれる他者や世界への想像力を堪能することを許しません。個人が、そういう時間と精神を持つと、何かが生まれて、その何かは集団主義や全体主義にとって邪魔なものなのかもしれません。それはなぜか?この問題は、あらためて、ここで取り上げたいと思います。

★ところで、どーいうわけか、この小説はイタリア人が映画化を申し出て、イタリアで映画化されました。1942年のことです。アリダ・ヴァリ(Alida Valli)という当時の有名なイタリア人女優がキーラを演じました。この女優さんは、無茶苦茶に美人です。アメリカのアマゾンでVHS版を購入できます。まだDVD化はされていないようです。舞台がロシア(もちろん現地ロケではないです)でロシア人の登場人物がイタリア語で話して、字幕は英語という、わけのわからないビデオ・フィルムです。

★しかし、映画そのものは、よくできています。メロドラマの要素の方が前面化していますが、『水源』の映画化作品である『摩天楼』とは比較にならないほど、よくできています。

★しかし、この映画を見たムッソリーニはカンカンに怒ったそうです。この作品は、当時のイタリアの敵国ソ連の圧制抗議小説ではありますが、当然のことですが、「全体主義批判小説」でもあるので、ムッソリーニが怒ったのも無理はないです。この映画が、ファシズム告発映画であるとわかったムッソリーニは、インテリですね〜〜♪日本の同時代の政権担当者で、映画の鑑賞眼のある「文化人」っていたのでしょうか?この映画を製作したイタリアの映画人は、ドサクサにまぎれて体制批判をするつもりだったのかな?つまり、チャン・イーモウの『Heroes』みたいなもんだったのかな?