Ayn Rand Says(アイン・ランド語録)

原子爆弾製造秘話映画のシナリオを依頼されたアイン・ランド(その3)  [01/11/2009]


It is an accident that since the beginning of the machine age, all the great, basic, epoch-making inventions and discoveries have come from American and England? Mostly from America, secondly from England---and with very few contributions from all the other contries. Why? Anglo-Saxon superiority? No. The inventors were of all races and nationalities. But they all had to work either in America or in England. The other countries then elaborated on the discoveries, worked out some details and variations, made minor improvements; but never produced anything crucially new, never made a discovery that was a turning point in science; nothing to compare with the steam engine, the electric light, the automobile, the airplane, the telephone, the telegraph, the motion picture, the radio. For God’s sake, can we ignore that? Are we going to say “sheer accident?” How many accidents of this nature do we need to be convinced? And if, through our own fault, an atomic bomb drops on us in a few years---are we going to say that was an accident, too?

The simple fact is that invention, discovery, science and progress are possible only under a system of free enterprise. If you want to know why and how, in detail; please read Science and the Planned State by John R. Baker, a British scientist. It is a short book, recently published. It presents the whole case, with facts, names, dates, records, reasons and unanswerable proof. (9 “Top Secret” in Journals of Ayn Rand)


(機械時代の到来以来、偉大で基本的で画期的発明や発見のすべてが、アメリカとイギリスから生まれたというのは偶然だろうか?アメリカからがほとんどで、次にイギリスである。他の国々の貢献は非常に少ない。なぜだろうか?アングロサクソンが優秀だからか?それは違う。発明者の人種も国籍も、すべての国々に渡っている。ただ、彼らや彼女たちがアメリカかイギリスで研究しなければならなかっただけのことである。同時代に、他の国々も、様々な発見に論議を尽くし、細部にわたり検討し、いろいろな形も考案し、小さな改良も重ねたが、決定的に斬新なものは何も産み出さなかった。科学における転換点となるような発見はできなかった。蒸気エンジンや電灯や自動車や飛行機に電話に電報に映画にラジオと比較できるようなものは何も産み出さなかった。このことを、私たちは無視できるだろうか?これを、「単なる偶然」と言えるだろうか?これが偶然だと納得するのは、自然が産み出す偶然というものを、私たちはいくつ必要とするだろうか?そして、もし、私たち自身の落ち度で、原子爆弾が数年以内に我々の頭上に落ちるとしたら・・・それも偶然だと言うのだろうか?

事実は単純である。発明も発見も科学も進歩も、自由な事業を支持する制度のもとにおいてのみ可能なのだ。それはなぜか、いかにしてそうなるのか、ということについて詳しく知りたいのならば、イギリスの科学者のジョン・R・ベイカーによる『科学と計画的国家』をお読みいただきたい。最近出版されたばかりの短い本である。この本には、発明も発見も科学も進歩も、自由な事業を支持する制度のもとにおいてのみ可能であることを示す事例の全体が記されている。事実、人名、データ、記録、理由、反論したくてもできない証拠が記されている。)


★唐突ですが、私は、1月8日以来、厳寒のニューヨークにいます。零下5度くらいです。街を歩くときは、名古屋の浅草=大須で1000円で買った赤い毛糸の帽子を目深にかぶっています。アイン・ランドのお墓参りに拙訳『利己主義という気概』を捧げる&資料収集&取材というのを大義名分にして、来ました。しかし、本音は、アイン・ランドに出会ったマンハッタンに「いたい」だけです。「いる」だけで、嬉しいのです。

★ニューヨークに来るときは、ニューヨークで買った衣類しか持ってきません。どんな安物でも、ニューヨークで買ったものならば、ニューヨークの風景に馴染みます。ニューヨークのフツーの人々は、ファッションを「決めて」いません。着るものに「とっても」気を使っているのが見えるような、いかにもいかにものお洒落はしません。「忙しいから、服装に構っていられないから、テキトーに手抜き」、これがニューヨークの人々にとって「カッコいい」こと、です。

★比較的長期の海外旅行ではいつも使用していたRimowaの銀色アルミ製の大きなスーツケースが、次第にボコボコになり、かつ小さな穴が開きましたが、修理に出すのを私は忘れていました。しかたなく、出発前に同じドイツのTitanというブランドのスーツケースを特価安売りの23000円で、通販で買いました。

★その赤いTitanが、ラガーディア空港で私の元に戻ってきたときには、すでにして、ぶっ壊れていました。表面に亀裂が走っていました。宿泊場所の短期滞在用家具付自炊設備ありのアッパーウエストにあるアパートメントに着いたときには、割れていました。スーツケースは消耗品ですから、しかたないですね。しかし、初使用で崩壊かよ。保険を申請するほどのことでもないしなあ。思えば、Titanという名前が不吉だった。オリンポスの神々にボロ負けした巨人族の名前だもんな。「厄落とし」ですね。これで、この4週間のニューヨーク滞在は安全無事となるでしょう。

★それにしても、研究休暇をいただいてデスクワークばかりしていたせいか、私の足腰は、かなりなまっています。サッサと足早に歩を進めるニューヨーカーの邪魔になるような不細工でのろまな歩き方です。脚が短いからか?いや、まだ40代の頃はこうではなかった。55歳だと、脚も進まないのか?私は、3月中旬あたりから再開する怒涛の労働に備えて、足腰を鍛えるために、ニューヨーク来たのかもしれません。

★原子爆弾製造秘話映画シナリオの話の続きであります。上記の文中に言及されている1945年に出版されたイギリスの科学者のジョン・R・ベイカーによる『科学と計画的国家』を、私はまだ入手して読んでおりません(アメリカあたりの古書ネットで、買えます)。ランドが言うところの、「アメリカとイギリスからのみ、機械時代の科学上の大発見や発明が生まれた」説の根拠となった資料を確かめておりません。しかし、たとえ私がベイカー博士の本を読んで納得しても、そのこと自体は、「アメリカとイギリスからのみ科学上の大発見や発明が生まれた」説が事実であることの証明にはなりません。科学的書物といっても、疑わしいものはいくらでもあります。

★だいたいが、「歴史の表舞台に出てくるような形となった発明や発見」が、19世紀後半以降のイギリスや、20世紀のアメリカで研究していた科学者から生まれたということは、当たり前です。19世紀後半以降のイギリスや、20世紀のアメリカは、その時代の「歴史の表舞台」でしたから、イギリス人やアメリカ人が認めない発見や発明は、「歴史の表舞台」に登場しません。いかに優れた画期的な発明や発見でも、当時の表舞台のイギリスやアメリカの手を経ないでは、表舞台に出ることはありません。

★ノーベル賞を受賞したから、つまり表舞台に立つ欧米の学者が認めたから、ある発見やある発明やある文学や、ある活動が、世界に貢献するものとして認められます。実際の内実の価値や可能性と、受ける評価というものの間にはギャップがあって当然です。「時差」というものもあります。川端康成がノーベル文学賞を受賞したときに意外に思った日本人は少なくなかったと思います。現在ならば、なおさら、さっぱりわからないですよ、川端文学の価値って。現在のアニメ状況から見れば、どの日本人よりも、手塚治虫氏こそが受賞されてふさわしかったのですが。

★前の回で、「原子と中性子は一体ではなく階層化されていて互いにものすごい力で引き合っていて、それが分離するときには、それこそすさまじいエネルギーが出る」という仮説を、欧米の原子物理学者に先立って考えて、英語論文にして、1934年にアメリカの学会誌に投稿したのは、東北大学理学部原子物理学科の助手だった彦坂忠義氏だったという事実を紹介した五島勉氏の『日本・原爆開発の真実』(祥伝社、2001)について、私は言及しました。

★どんなにすごい知見でも、欧米の、特にイギリスとアメリカの学者に認めてもらえなければ、それは科学的発見としての正当性は与えられません。そうでなければ、日本人だって日本人の業績を認めません。彦坂氏がアメリカの学会誌に投稿したのは当然のことでした。

★欧米の科学者たちが、この彦坂氏の仮説を、彦坂氏の貢献を認めることなく、ぱくって原子爆弾開発がなされたのではないかと、五島勉氏は推測しておられます。さらにもっと興味深いことを五島氏は書いておられます。ご存知、日本人初のノーベル物理学賞受賞者の湯川秀樹博士は、「中間子理論」(原子と中性子の間には、「中間子」とも呼ぶべき未知の存在があるという説)の功績により受賞したのですが、この理論も、1930年代には生まれて発表されていました。この理論も、彦坂氏の仮説を退けた同じ欧米の科学者たち(前回で言及したデンマークのニールス・ボーアという大御所的原子物理科学者が中心)から長い間無視されました(『日本・原爆開発の真実』p.60)。

★さらに、さらに興味深いことを五島氏は書いておられます。日本人科学者の理論をぱくったにせよ、偶然にせよ、ともあれドイツもアメリカも、核分裂のエネルギーがすごい兵器になること(だけ)に注目して、ウランの原子核分裂の実験の成功を生かして、ウランに注目します。ウランのほとんどを占めるウラン238は、放射線は出さないし強固で壊れにくい(=核分裂しにくい)ので、爆弾には不向きです。使えるのは、ウラン全体の0.7パーセントしかない不安定で壊れ易い(=分裂しやすい)同位元素ウラン235だけです。それを爆発寸前(臨界寸前)の状態にまで濃縮することが、彼らの目標でした(pp.64-71)。

★しかし、日本の彦坂博士は、そーいうことは考えずに、爆弾用には廃棄されるしかない安定したウラン238を使用しての「安全な原子炉」を考え、「新しい安全なエネルギー」の創出を考えて、戦前の日本の学会に発表していたそうです。天才の理論ですから、大方の学会員にとっては、わけがわからなかったようです。現代の原子炉は、原子爆弾の材料と同じウラン235を使用しています。彦坂博士の理論は、なぜ日本で採用試行されなかったのでしょうか?採用試行する予定はないのでしょうか?(pp.76-80)

★ともあれ、ドイツとアメリカの原子爆弾開発計画は、アイシュタイン博士を中心にしたアメリカが勝ちました。なんとなれば、ドイツも同じ事を目論んでいると知ったアメリカは、ナチスの原爆製造施設らしきものを手当たり次第に空襲し徹底的に破壊し、研究者も技術者も殺戮しまくったからです。ドイツが原子爆弾製造を諦めたのは1943年の暮れだったそうです(p.86)。

★アメリカがとんでもない爆弾を開発中だということは日本政府も察知していました。それは「北欧の中立国にいた日本の少数の外交官たちから。もう一つは、日本に協力してくれていた在米のスペイン系情報機関から」(p.87)だそうです。

★この「在米のスペイン系情報機関」というのは、アメリカ大嫌いなメキシコ人スパイのことでしょう(彼らとメキシコの元宗主国のスペインとの関係、およびスペインの連合軍との関係がよくわかりませんが)。日本の味方をしてアメリカの軍事機密を探って殺されたメキシコ人スパイが多かったことは事実なのに、メキシコでは知られていることなのに、日本では、あまり知られていないのは、なぜでしょうか?みなさん、メキシコの方々には親切にいたしましょう。日本人のために殺された方々のご親戚かもしれません。

★それと、1942年頃から、欧米の物理学会誌にピタリと原子核関連の論文が掲載されなくなったので、日本の科学者の一部は、「ははあ〜ん・・・」と見当をつけていたそうです(p.87)。やっぱり、ほんとうに賢い人は違いますよね〜〜♪

★欧米の科学者に先立って原子核の構造を見抜いた科学者を産出できる日本ですから、日本の軍部もやはり原子爆弾みたいなものの開発は考えていたようです。理化学研究所(理研)の仁科芳雄博士は、軍の要請を受けて、「何万トンものウラン鉱を集め、何十億ドルもかけて大工場で大規模精錬しなくても、少しの原料と小さな製造所があれば作れる原爆」の製造は可能だという結論を出したそうです。やはり日本人は、小さいが性能のいいものの開発が得意です。

★しかし、原料のウランが日本国内にも日本の占領地にもない。ところが、「福島県石川町」の石川石と呼ばれる黒い石にはウランが含まれていることが判目したそうです。軍部は、石川石を採掘すると同時に、560キロの酸化ウランの粉末をUボートで日本まで運んでくれるようにドイツに依頼したそうです。このUボートは米軍に大西洋で1945年4月に捕獲されてしまいました。そこに日本陸軍宛の厚い鉛で覆われた大箱10箱の中身があったことで、アメリカは日本が原子爆弾を、それも少量のウランで製造可能な原子爆弾を製造しようとしていることに確信を持ったようです。ひょっとしたら自分たちより優れた発想によって優れた技術を開発しているかもしれない・・・なにしろ、核分裂を最初に思いついたのも、中間子の存在を理論化したのも、日本人なんだから・・・と、アメリカで原子爆弾開発に従事していた科学者たちは、戦慄したかもしれません。

★同じ目的で日本に向かっていたUボートは複数あり、みな撃沈されました。5機ぐらいがウランを搭載していたらしいです。日本の軍部も頑張っていたのです。アメリカにはめられて始めさせられてしまった戦争とはいえ、始めてしまった戦争ならば、最後まで勝利の機会を捨ててはいけませんからね。

★かくして、アメリカは大都市の無差別攻撃の空襲ばかりでなく、原子爆弾を開発していそうな施設の破壊にやっきとなりました。東大や阪大や、東北大学の関連施設をピンポイント爆撃で吹き飛ばしました。問題の仁科博士の理化学研究所が荒川の中洲に持っていた秘密の「ウラン235濃縮工場」もピンポイントで爆破しました。国内唯一のウラン鉱採石場である山奥の福島県石川町もしっかり爆撃しました。近くの郡山市も派手に空襲しました。大都市でもなく軍需工場もないのに、「なんで、ここが空襲されたの?」と地元の人々は大いにいぶかしんだそうです(pp.151-76)。

★なんで、こうもバレバレよ?しっかりスパイがいましたね〜〜内部の情報が漏れていましたね〜〜下っ端の軍人や学者ではないよなあ、漏らしたのは。政府のよほどの高官か、軍部もよほどの上層部か、ともあれ最高機密を知る立場の人々の中に、アメリカに情報を漏らした人間がいたのは確実なようです。暗号解読だけで、できることとは思えません。

★アメリカがやっきとなって石川町爆撃したのは、実は、原子爆弾などという水準を超えて、日本が石川石にウランばかりでなくトリウムを発見していたことを、アメリカが察知していたからでもあったと五島氏は指摘します。日本の科学者や技術者は、トリウムの発見から、原子爆発を制御してエネルギー源にすれば、日本は資源を求めて戦争などしないですむと考えていたのに、アメリカは、自分たちの発想でしか相手を見ないから(誰でもそうか)、日本は、トリウムでとんでもない兵器を製造して世界征服でもするつもりではないか、黄色い猿が生意気な・・・と思い込んだらしいです(pp.170-84)。

★かくして、原子爆弾完成を急いだアメリカは、完成してすぐに、広島と長崎の上空で原子爆弾を炸裂させたと・・・

★ユダヤ系の科学者が原子爆弾完成に尽力したのは、はやいとこナチスを倒さないと、強制収容所にいる同胞を救えないという大義名分があったでしょうが、1945年8月にはすでにボロボロだった日本への原子爆弾投下には、どう考えても大義名分はありません。落としたかったから落としたとしか言いようがないです。

★五島氏は、『日本・原爆開発の真実』を書く際に、いろいろな人々を取材して、以下のことを記しています。実は1944年の夏の時点で、昭和天皇が軍から、このミニ原子爆弾開発計画を奏上されたときに、こう発言したそうです。「数カ国がその新兵器開発を競っているとのことだが、日本が最初に完成し使用すれば、他国も全力を傾注して完成させ使ってくるようになるであろうから、全人類を滅亡させることになる。それでは、人類絶滅の悪の宗家に日本がなるのではないか」(p.208)と。「自分はそれに反対である」(p.205)と。軍は、しかし新兵器開発を進行させました。それを知ったときに、「まだやっていたのか!」と天皇は不快を顕したそうです。

★事実かどうか、私にはわかりません。しかし、ともあれ、こういう発想は、とても「日本人」的であることは確かです。「日本の徳を体現した日本人」が考えそうなことであることは確かです。これが事実だとしたら、この発言をした人間の姿勢は、信念は、道徳観は、中途半端としか言いようがないです。そんなことを戦争末期に言うぐらいならば、戦争自体を始めさせないように発言できなかったのか?もしくは、もっと早く戦争を終わらせる発言はできなかったのか?戦前の日本の天皇のような立場に立った方に対して、私は深く同情しますが、近代戦やっている最中に、そーいう台詞はないでしょう。

★いい子になりたがり、徹底性にかける心優しい徳の高い(?)日本人に「近代戦」はできません。不名誉と憎悪と悪にまみれても勝とう!と思えないような戦争ならば始めるな!勝てない戦争ならば戦わずに、敵が衰退する機会を何年でも待つしかない。女はいつもそうしてきています。

★長々と、五島氏の著書の紹介をさせていただきましたが、要するに、ここで私は何を言いたいのかと言えば、アイン・ランドは、「個人が自由に自分の才能を発揮する自由な社会でこそ、素晴らしい発明も発見も生かされる。アメリカやイギリスは他の国々に比較すれば、自由な社会だから、個人の才能の自由な発現を社会が許容し促進する国々だから、いろんな科学者がイギリスやアメリカにやって来た。原子爆弾は、そういう背景で産み出されたものだ。だから、このことだけ強調した映画を作ろう」説は、やはりどう観ても無理がある、ということです。アイン・ランド自身、それはわかっていたと思います。

★歴史の事実は、 「発明も発見も科学も進歩も、自由な事業を支持する制度のもとにおいてのみ可能なのだ」 ではありません。「自由な社会だろうが、統制社会だろうが、科学者とかインテリとか芸術家とかを食わせてテキトーに自由に遊ばせておく政府が、いろんな発見や発明を手にして、政府の存続のために利用するが、その発見や発明が一般の人々にとって有益なものになるかどうかは、また別の問題である」が、事実でした。

★副島隆彦氏と佐藤優氏の対談集『暴走する国家 恐慌化する世界』(日本文芸社、2008)のなかでロシアの事情に詳しい佐藤氏が以下のようなことを言っておられます。ソ連革命は市民革命ではなく、マルクス主義という理論を実践したい知識人たちによって成就したので、ソ連政府は、知識人、インテリというものの不満が社会の安定を揺るがすということをよく知っていました。知識人の言論活動、世論形成、扇動の力を侮りませんでした。だから、ソ連政府はどうしたか?

★具体的には、世論に力を持ちそうなインテリを好きに遊ばせておくことにしたのです。インテリだけが住むような地域を作って、彼らを集めて好きに交流させ、生活費を補助し、出版費用も出してやるのです。前衛的なインテリの書くものなんか、専門家以外の誰も読みませんから、150部くらい製本すればいいので、それくらいのカネを政府が出すのは簡単なことです。暮らしには困らない、仲間はいて、おしゃべりは楽しめる、本は公費で出版される・・・そうなると、インテリは自足して楽しく知的活動にふけり、政府に不満を募らせません。そうやって、ソ連は不満分子の種となるインテリの去勢に成功したのだそうです。

★このインテリを遊ばせて政府に従順にさせておくってのは、現代の日本でいえば、「科研費」を学者に与えて遊ばせておくってことと同じですね。科研費で研究して、科研費で仲間以外には誰も読まない論集を500部くらい出版し、科研費でその献本代もまかなう。そうか、文部科学省研究助成金の発想って、あらゆる政府筋の研究助成金って、「知識人飼いならし去勢&人畜無害化&国畜化」という機能って、ソ連から学んだものだったのでしょうか?それとも、これは人民支配の基本的政策のひとつなのでしょうか?

「発明も発見も科学も進歩も、自由な事業を支持する制度のもとにおいてのみ可能なのだ」 というアイン・ランドの見解自体は、確かに正しいです。この言葉は、以下のように言い換えてもいいです。「発明や発見や科学技術が、人類の福祉と社会の繁栄のために使用されるのは、暴力団としての国家や集団が存在しない自由で平和な社会においてのみ可能である」と。

★しかし、国家主義と結びつくからこそ、国民から収奪した税金という巨額なカネをプールできる政府の下僕になるからこそ、科学者は、巨額の研究開発費を獲得でき、研究開発という最高のお遊びに夢中になることができます。この誘惑に抵抗できる科学者はいないでしょう。

★原子爆弾のヒントとなった核分裂が生じさせる物凄いエネルギーは、平和的で建設的に利用される可能性もあったのです。今もあります。しかし、どんな素晴らしい発見も技術も、国家主義と結びつくと、人民支配の道具か、戦争の道具にさせられるのがオチだし、科学者は進んでそれに加担するのです。そのことを、アイン・ランドは知っていました。その最大の例をやらかしたのが、原子爆弾を作って落としたのが、彼女がその国民になるのを選んだアメリカ合衆国がしたことだということを、アイン・ランドはよく認識していました。

★移民から「アメリカの国民作家」になったアイン・ランドですが、すべからく「国民作家」というのは、その国を一番醒めた眼で見ながら、黙っている作家であるのかもしれません。アイン・ランドは「アメリカ賛歌を書きながらアメリカ批判をする」という知的アクロバットをし続けた作家だと、私は思います。