Ayn Rand Says(アイン・ランド語録)

原子爆弾製造秘話映画のシナリオを依頼されたアイン・ランド(その2)  [01/04/2009]


Let us realize and remember that the atomic bomb as an argument can be more powerful and destructive spirituality than it is as a weapon physically.

To sum up, the crux of our responsibility in making the picture is this: (1) It is precisely because of the atomic bomb that the world must return to free enterprise; (2) The atomic bomb is a tremendously potent argument. If we use it as an argument for Statism---we will have blood on our hands. If we use it as an argument for free enterprise---we will make an inestimable contribution toward saving mankind; perhaps, a historic and immortal contribution.

The whole history of the atomic bomb is an eloquent example of, argument for and tribute to free enterprise. It would be monstrous to disregard the lesson, to ignore it or to twist into the exact opposite. We must let the facts speak for themselves. We must only present the truth. But we must present the truth, the whole truth and nothing but the truth.  (9 “Top Secret” in Journals of Ayn Rand)


(次のことを、きちんと理解し、記憶に刻み込んでおこう。ひとつの論点としての原子爆弾というものは、物理的な武器としての原子爆弾よりも、はるかに強力で破壊的なものになりうるということを。

原子爆弾製造秘話映画を製作することに伴う私たちの責任の重大な点を、まとめてみると、以下のことになる。(1)今こそ、世界が(統制的な国家主義)ではなく、自由事業体に転じなければならないのは、まさに原子爆弾ゆえである。(2)原子爆弾は、とてつもなく、様々な議論や対立を呼ぶ論点である。私たちが、原子爆弾を国家主義を支持する問題として扱えば・・・私たちの手は血にまみれることになるだろう。自由事業を支持する問題として扱えば・・・私たちは、人類を救う方向へ測り知れないほどの貢献をすることになるだろう。歴史に残るような不滅の貢献となるかもしれない。

原子爆弾が生み出された歴史全体は、自由事業のための雄弁な実例であり、議論であり、貢献である。この教訓を無視したり、見てみぬふりしたり、正反対の方向に捻じ曲げるようなことは、極悪非道なふるまいである。私たちは、事実をして事実を語らせねばならない。真実を表現するだけにとどめねばならない。しかし、真実でも、真実全体を表現しなければならない。真実以外の何ものも表現してはならない。)


★明けまして、おめでとうございます。2009年のみなさまの御多幸と御健康をお祈りいたします。

★新年そうそう更新が遅れております。前回の続きです。原子爆弾製造秘話映画のシナリオなど書きたくなかったアイン・ランドでしたが、映画会社との契約上、書くことを拒否することができにくかったので、ランドが映画会社の社長ハル・ワリスに出した条件の話でした。

★前の文章といい、今回の文章といい、(常日頃から大げさな感じがする)アイン・ランドの文章が、一層に大げさに感じられます。1946年当時のアメリカ人にとって、原子爆弾について否定的に語るには、これだけの慎重さが、過剰な言葉が必要とされました。当時のアメリカ(今も、だな)では、無知で野蛮な小さい帝国の「本土決戦」で、アメリカ人兵士の血を無駄に流させないために、「やむなく、他に手段がなかったので」原子爆弾が使用されたと考えられていました。

★南下してくるソ連(の国際社会における台頭)を抑止するためとか、前大統領のローズベルトに比較すると見劣りしたトルーマン大統領が自分の決断力を示威するために(=男を上げるために)使用の許可を出したとは、一般には考えられていませんでした。まあ、最終的には、個人の判断ですからね・・・

★だから、リーダーってのは、運がいい人間でないといけない。運がいいっていうのは、「その人間が選択したことが、長期的に見て、常にいい結果を出せる=利益を出せる」ということですから。リーダーが人格者だとか、誠実だとか、そーいう問題じゃないのです。だから政治的指導者の評価は、100年経たないと下せないのですね〜「結果」というのは、30年くらいのスパンで出るようなものではないのです。だから、政治的指導者というのは「天」が選ぶ、としか言いようがないです。

★個人が出す「結果」ならば、20年ぐらいで判断できるかもしれません。私のようなTV大好きミーハーでも、俳優さんとかタレントさんなんか長年眺めていますと、資質のいい人は、いくら下積みが長くても20年経てば理解され世に出てくるな・・・とうことがわかります。人気者でも、どこか嫌だなと思わされる人物は、20年以内には確実に消えています。いかほどに軽薄な世間でも10年は騙せても、20年は騙せない。しかし、国や世界の歴史だと、スパンが長いから、政治的指導者の評価は難しいですね〜〜ヒトラーだって、ケネディだって、200年後は、どんな評価を受けているかわかりません。

★閑話休題。アメリカが原子爆弾を日本に落としたのは、せっかく原子爆弾を作ったのだから、使ってみたかったという理由もあったと思います。同じ白人種のドイツ相手では国内にドイツ系も多いから使えなくても、黄色い猿の日本人ならば、大量に死んでもピンとこないし、猿だから実験に使ってもいいんじゃないかという人種差別はあったと思います。私の知っているアメリカ人女性は、「ヒロシマとナガサキは人種差別だった」と言っていましたよ。1発だけではデータ不足なんで、2発落とした、2発だと、世界向けの宣伝として最強だろう〜〜とか、そういう理由もあったと思います。

★ですから、この原子爆弾という題材は、自分の良心の観点からも、政治的配慮の点からも、「アメリカ人としてのアメリカへの忠誠度」を示威するためにも、アイン・ランドは非常に慎重に扱わなければなりませんでした。この時代は、そろそろ、「赤狩り」とか始まる頃です。ソ連(ロシア)から移民してきたランドのような人間は、もっとも猜疑の目で見られやすい。全く正反対の見解を持っているのにも関わらず、ソ連のシンパ、もしくはスパイと見られかねません。「アメリカ人になったアメリカ人」は、つまり「二級市民」は、生まれながらのアメリカ人に比較すれば、「アメリカ人であること」を過剰に見せつけて生きねばなりません。そういう緊張と慮り(おもんぱかり)が、アイン・ランドの大げさな言葉使いの背景にあります。

★原子爆弾の前代未聞の破壊性と悪魔性を認識しつつ、そのようなものを使用してしまった政府首脳部の判断力に疑問を抱きつつ、しかし、ナントカして、アイン・ランドは「原子爆弾製造」という事業の持つ肯定的要素に照明をあてる必要がありました。

★そのために、アイン・ランドは、原子爆弾は、「政府が科学者に命じて作らせたものではない」ということを強調したいと思いました。たまたま不幸なことに、極悪非道の暴力装置として、原子爆弾という兵器として利用されてしまったけれども、ほんとうは、人間の自由な科学的探究が、あくまでも人間の頭脳と探究心と冒険心と向上心の自由な発露(=free enterprise)が原子爆弾を結果的に生んだのだ、結果として戦争が終結された、多くのアメリカ兵を救った、でも、もう二度と兵器として使用されることはないのだ・・・国家の奴隷として個人が処理されない、真に自由な社会が実現すれば・・・ということを示す映画のシナリオならば、自分は書けると思いました。

★アイン・ランドは、この文書を書く前に、いかにして原子爆弾が生まれたのか勉強しました。

★「物質」が、「極めて小さい不変の粒子」から成り立つという仮説は、紀元前400年頃から古代ギリシアで考えられていました。どうして、こういうことを考え付いたのかわかりませんが、考え付く人というのがいるのですね〜〜♪

★2000年以上も経て、19世紀初頭に、イギリスの化学者&物理学者&気象学者のジョン・ドルトン(John Dalton)が、近代的な原子説を唱えました。彼は、化学反応の前後の物質の質量の変化に着目し、物質には単一の原子(今で言う原子)と複合の原子(今で言う分子)があると考えました。

★20世紀初頭にアーネスト・ラザフォード(Ernest Rutherford)がフレデリック・ソディ(Frederick Soddy)とともに、ウランの「放射壊変」を発見しました。ふたりとも、イギリス人です。「放射壊変」というのは、放射性崩壊(radioactive decay)とも呼ばれるものです。不安定な原子核が様々な相互作用によって状態を変化させる現象を、そう呼ぶのです。これによって、科学者たちは、原子を不変の粒子と考えることを破棄しました。

★イギリス人のジョセフ・ジョン・トムソン(Joseph John Thomson)が、1897年に電子を発見し、1904年に原子核をもたない「原子モデル」を提案しました。先に発見された陰極線からヒントを得て、帯電したパンの中にブドウのように電子が埋まっているという、例のモデルを考えました。高校のときに物理の教科書に出てきましたが、私にはサッパリわかりませんでした〜〜

★それとは別に、先のラザフォードと、われらが日本の長岡半太郎が独立に惑星系に似た「原子モデル」を考案しました。デンマークのニールス・ボーア(Niels Bohr)は電子の円軌道モデルを考案し、ロシア生まれのドイツ人物理学者のアルノルト・ヨハネス・ゾンマーフェルト(Arnold Johannes Sommerfeld)が楕円軌道モデルを考案しました。

★まったく、なんで、こういうことを考え付くのでしょうね、すごいですね物理学者というのは。原子モデルの形状なんか、どーでもよろしやないですか、楕円形でも五角形でも八角形でも、なんでもよろしいわ、戦争と飢餓と拷問と激痛と冤罪と貧困と無知と子ども虐待と性犯罪の撲滅が先でしょーが、頭がいいならば、そっちの方法を考えてちょーだい、なんて程度のことしか思いつかない私には、ほんとにこういう人々の脳の仕組みがわかりません。

★1932年に、イギリスのジェームズ・チャドウィック卿(Sir James Chadwick)が、中性子(neutron)を発見しました。どうやって発見したんだろう?貴族だったから、暇だったんだろうな。

★これで、原子核には、陽子と中性子があるとわかりました。すると、物理学者の疑問は、「原子核のなかにおいて、この中性子というのは、陽子に対して、どーいう位置にあるのか?」ということになりました。前述のボーアは、陽子と中性子が一体となって液滴型の原子核を作っていると考えました。

★陽子と中性子は一体ではなく、階層的に別れていて、互いにものすごい力で引き合っているのではないか、原子核を構成する陽子と中性子の間に介在する力を解放できたら、凄いエネルギーが生まれるだろうと考える科学者もいました。

★1939年にドイツの、リーゼ・マイトナー(Lise Meitner)と、オットー・ハーン(Otto Hahn)とフリッツ・ストラスマン(Fritz Strassman)のチームは、ウラニウムの原子核の分離に成功しました。彼らはユダヤ系です。アイン・ランドは、リーゼ・マイトナーという、この核分裂実験を最初に成し遂げた、この女性物理学者に憧れていたふしがあります。

★どーいうわけか、日本の物理学の教科書は、このチームからリーゼ・マイトナーを省いて記述する傾向があります。女の物理学者なんて考えられない、どうせ助手かなんかだったろうから名前なんか書く必要ないということでしょうか?ノーベル物理学賞受賞者ですよ。20世紀初めあたりの女性に対する偏見に満ちた社会において、女性でありながら、ハーンやストラスマンと伍して研究活動に従事したのですから、いかほどに優秀であったことか。実際は、彼女の貢献が一番大きかったのではないか?無視しやがって、馬鹿、アホ、イモ!

★それはさておき、ともかく、陽子と中性子は一体ではなく、階層的に別れていて、互いに強大な力で引き合っているのだということが、これで証明されました。同年に、前述のデンマークのボーアと、イタリアのエンリコ・フェルミ(Enrico Fermi)が自ら実験し、ドイツでの核分裂の成功の真偽を確かめました。

★彼らの多くはユダヤ系でしたから、ナチスのホロコーストと欧州の戦争を避けて、アメリカに亡命しました。彼らがアメリカで合流し、核爆発のエネルギーを兵器に利用できないかと考えて、できたのが原子爆弾でした。

★まあ、亡命したんだか、スカウトされたんだが、よくわかりません。ものすごい兵器を作ることができるかもしれない連中だから呼んでやろうか〜〜という意図がアメリカ政府にあったのかもしれません。

★ここらあたりには目をつぶったアイン・ランドが、強調したかったのは、原子の構造の発見や原子核分裂が出すすさまじいエネルギーの発見などは、純然たる科学的探究だったという事実です。

★確かに、それは事実です。最初から大量虐殺破壊兵器を作ろうなんて思って研究や実験を重ねる科学者なんていません。名誉欲や金銭欲にかられる科学者も多いでしょうが、もともとが、「どうなっているんだろうか、ほんとのところは?」という知識欲が初めにあるに決まっています。

★地球が生んだ生き物である人間が、地球の中での生き残りに苦労してきた人間が、進化に進化を重ねて、とうとう地球を破壊するようなエネルギーを発見した・・・この事実だけを直視すれば、実に素晴らしいことではないかと、アイン・ランドは考えました。

★アイン・ランドは、「原子爆弾製造秘話」のシナリオの粗筋(synopsis)を残していますが、その最後は、”Man can harness the universe---but nobody can harness man”と書いています。「人間は宇宙に首輪をつけることができる。でも、何ものも、人間に首輪をつけることはできない」と。地球の10個ぐらいは破壊して荒廃させるような巨大なエネルギーを、地球の表面をうごめいている細菌みたいなチッポケな人間が生み出したこと自体は、確かにすごいことです。

★その人間のすごさ、可能性(と同時に、その責任)を認める、再認識する、その方向で、原子爆弾のことを考え表現すれば、過去の悲劇はさておき、映画人としての良心に恥じないことになるのではないかと、破滅ではない未来に向かうような映画にできるのではないかと、ランドは考えたのでした。

★いかがでしょうか、世界唯一の被爆国の国民である私たちは、アイン・ランドのこの立場に共感することができるでしょうか?

★私自身は、もうすでに存在している「破壊力あるもの」については、少しでも肯定的な方向に行くような扱い方をして、その「破壊力」を無化するしかないと思いますので、アイン・ランドの見解をとりあえずは支持します。

★ところで、さきほど、私は、「陽子と中性子は一体ではなく、階層的に別れていて、互いにものすごい力で引き合っているのではないか、原子核を構成する陽子と中性子の間に介在する力を解放できたら、凄いエネルギーが生まれるだろうと考える科学者もいました」と、書きました。

★実は、このように考えて、そういう英語論文を1934年にアメリカの物理学会誌のPhysical Review誌に投稿したのは、日本人科学者でした。東北大学理学部物理学科の助手だった彦坂忠義氏でした。1902年に愛知県は豊橋で生まれた方です。この論文は「掲載に値しない」という理由で無視されました(戦後に、この論文の日本語版が復刻されました)。絶対にノーベル物理学賞ものの研究なのに(ノーベル賞というのも、かなりうさんくさいものではあるらしいが)。

★彦坂忠義氏の画期的な論文は、当時の欧米の原子物理学の水準を凌駕していた論文は、無視されたのにも関わらず、その後の欧米の原子物理学は、彦坂論文が提起した方向に進んでいきました。これは、どーいうことでしょうね?単なる偶然でしょうか?どう考えても剽窃盗用パクリではないでしょーか?

★彦坂氏のような科学者がいたのだから、日本だって原爆は作れたのではないかとお思いになる方も、いらっしゃると思います。次回では、前回に紹介しました五島勉氏の『日本・原爆開発の真実』(祥伝社、2001)について、もっと紹介させていただくことになると思います。

★私は性格が悪いから、私が彦坂氏だったら、アメリカの学会誌に投稿しません。英語で発信するということは、ぱくられる範囲が格段に広がるということですから。だいたい、アメリカの大学や研究所では、タチの悪い種類のユダヤ系の科学者たちが、留学してきた日本人科学者をこき使って、業績は自分のものにしているという話を聞いたことが、私はあります。

★彦坂氏は、「原子と中性子の分離が引き起こすエネルギーが悪用されたら、とんでもないから、そのエネルギーを無効にする方法も考えねば」とまで考えていた天才であったそうです。天才的科学者といえども、天才的科学者だからこそ、政治という闘争、国際社会の殺し合いなどに、自分の知見が発展悪用されることまでは、リアルに危惧することはできなかったのかもしれません。自分と同じ科学者だから、欧米の科学者も、科学者の良心に基づいて行動するに違いないと考えていたのかもしれません。な、はずはないのよ。

★もしくは、どういう結果になろうと、自分の仮説を知らしめたかったのかもしれません。自分が考えたということを、知らしめたかったのかもしれません。それが、科学者が抑えきれない、科学者としての「欲」かもしれません。

★純粋な科学的探究心や情熱や粘り強い研究活動は、素晴らしいけれども、それは、それだけのことです。ガキが一心に遊んでいるのと同じことです。大人が、そんなガキの首絞めるのは簡単なんですね〜〜アイン・ランドが言う「国家主義」とは、「夢中になっているガキ」の首絞めるのも、遊ばせておくのも、すべてが、ガキより身体も力も大きい大人の存在次第という体制ですね〜〜

★学問的に秀でているからといって、いつまでも「夢中になっているガキ」をやっていていいわけではない、ということにガキが目覚めないと、いつなんどき、大人から首絞められるか、わかりません。まあ、とことん死ぬまで「夢中になっているガキ」をやって、遊ばせておいてもらいたいのが、学者なのかな。