Ayn Rand Says(アイン・ランド語録)

心の中の基礎工事から始める(その4)  [02/17/2009]


An intellectual movement does not start with organized action. Whom would one organize? A philosophical battle is a battle for men’s minds, not an attempt to enlist blind followers. Ideas can be propagated only by men who understand them. An organized movement has to be preceded by an educational campaign, which requires trained---self-trained---teachers(self-trained in the sense that a philosopher can offer you the material of knowledge, but it is your own mind that has to absorb it). Such training is the first requirement for being a doctor during an ideological epidemic--- and the precondition of any attempt to “change the world.”

“The immense changes which must be made in every walk of American life” cannot be made singly, piecemeal or “retail,” so to speak; an army of crusaders would not be enough to do it. But the factor that underlies and determines every aspect of human life is philosophy---and their own minds will do the rest. Philosophy is the wholesaler in human affairs. (“What Can One Do? 1972” in Philosophy Who Needs It)


(知的運動というものは、組織化された行動から始まるわけではない。誰を組織化するというのか?哲学的闘いとは、人間の頭脳(思考)のための闘いであって、盲目的な追従者を募集する試みではない。思想は、その思想を理解する人間によってのみ伝播(でんぱ)されうる。組織化された活動は教育的運動(キャンペーン)によって先導されなければならない。それには、訓練された、つまり自分で自分を訓練した教師を必要とする(哲学者は、あなたが物事を知り認識するための素材を提供することはできるが、それを自分自身のものにするのは、あなた自身の頭脳である。「自分で自分を訓練した」とは、そういう意味である)。このような訓練こそが、空論という疫病が蔓延している只中において医師であることに必要とされる最初のものである。「世界を変える」試みの前提条件である。

(私がある読者からいただいた手紙に書かれていた)「アメリカ人の生活のあらゆる歩みにおいてなされなければならない巨大な変化」が、独力で、断片的に、「小売」で成されるはずがない。いわば、十字軍の一軍だけで、達成できることではないのだ、そのような巨大な変化は。人間の生活のあらゆる様相の根底にあり、それらを決定する要素は、哲学である。その他のことは、人間の頭脳(思考)がする。哲学とは、人間に関わるもろもろの事柄における「問屋」である。)


★申し訳ありません。申し訳ありません。日曜日2月8日の更新を怠りました。ならば翌週2月15日に更新が当然ですが、それも、さぼりました。ついでですが、次の更新は、2月29日とさせていただきます。変則的で、すみません。

★2月6日にニューヨークから帰ってきまして、時差ボケで、10分以上は集中できないという常時ボンヤリ状態が1週間以上も続きました。56歳になる(ニューヨークで誕生日迎えました)と、時差ボケがきつくなるのか。そのうちにスギ花粉の飛散が始まり、持病の花粉症が出ました。猛烈なくしゃみと鼻炎でかきむしった顔が赤く腫れてボコボコです。

★全然関係ないことを唐突に書きます。中川昭一財務相兼金融担当相が辞職しましたが、あのローマで開催された先進7カ国財務相・中央銀行総裁会議(G7)閉幕後の記者会見の際の状態の原因は、ほんとうに飲酒とか風邪薬の誤用=大臣としては言語道断の自己管理の欠如なのでしょうか?G7の舞台裏で、今のアメリカがいつも以上に日本にたからないはずがない。中川さん、むかついて酒を大量に飲んでしまったのか?アメリカに抵抗して都合のいい答えをしなかったために、変な薬を盛られたのか?お父さんのように、謀殺されなかっただけマシなのか?それとも、単にほんとうに自己管理の欠如なのか?お父さんがああいう亡くなり方をしているので、他の2世3世議員とは、あの方は質が違うと、私は思っています。つまり、「はめられた」か、「ボケたふりして国益守った」と思いたい。あると思います!

★しかし、アメリカの財務長官のガイトナーさん、人相悪いですね〜〜ヒラリーさんも人相悪くなったなあ〜〜真っ先に日本に来て、真っ先にたかるのね〜〜♪あると思います!

★また、全然関係ないことを唐突に書きます。出版業界が不況だとか訊きますが、売れている本は売れています。たとえば、幻冬舎は、事実を知りたいという読者の切実な要求をうまく突いてきます。武田邦彦氏の『偽善エコロジー---「環境生活」が地球を破壊する』なんか、読むと目から鱗が落ちるという比喩がぴったりです。久坂部洋氏の『大学病院のウラは墓場』とか、若林亜紀氏の『公務員の異常な世界』とかも面白いです。幻冬舎の出版物でも、そりゃ、ハズレはありますが。

★売れる本を出せる出版社の編集者というのは、私が推測する限り、「文芸信仰」とか「80年代ポスト・モダン&ニュー・アカデミズム」に、頭がクルクルパーにされなかった人々だと思います。現実逃避の道具である文学作品とかゲージュツは、それ以上でもそれ以下でもなく、崇め奉るようなものではないのですが、偏差値の高い大学の文学部卒あたりの編集者だと、素直に教師の言うこと間に受けてしまって、いつまでたっても文芸崇拝マインド・コントロールから抜けることができないのかもしれません。せっかく出版社に就職して編集者になっても、しょーもない本を企画して、つまらん書き手に役にもたたない本を書かせて、出版して、コケているのかもしれません

★大学院とかに進学して、アカデミズムとか人文系学者の空虚さや、しみったれた矮小さを目撃すれば、まともな人間ならば、そういう類のものに対する幻想がぶっ壊れます。しかし、ちゃんとお勉強しないと入学できない偏差値の高い大学の文学部卒だと、素直で頭が固くて権威主義の人物が多いでしょうから、その幻想が温存されてしまうのかもしれません。私が、前に書評など書いていた、今は消えた『Recoreco』(メタローグ社)というブック・ガイド誌はあきれるほどに、その幻想から脱していませんでした。21世紀にもなって、まだ1980年代していました。大丈夫か?と、いぶかしんでいたら、この会社は(原稿料払わずに)倒産しました。

★本がデジタル化するのは避けられない流れであり、出版社の多くが倒産するだろうと予測されていますが、事実、情報、真実を求めて、人々が「本」を求めていくことに変わりはありません。出版社さんは、とんちんかんな「文芸やりたい」人間など採用せずに、ほんとうの意味でのジャーナリズムを実践したい人材を採用し育てていただきたいです!

★またまた、全然関係ないことを唐突に書きます。ニューヨークの日系企業は、日本人を採用したくても、文学部卒とか社会学部卒とかだとアメリカからWorking Visaが出ないそうです。9.11以降、理系とか工学系とかファイナンス系とかの「アメリカの繁栄に寄与できる学問をした人間」でないと、アメリカは外国人に門戸を開かなくなっているそうです。「採用したくても採用できないのですよ〜〜不動産関係の仕事は英文科卒でもできるのですけど、Visaが降りないんですよ〜〜外国語ができること以外の付加価値を自分につけないと、海外では通用しないって、学生さんに、よ〜く教えてさしあげてくださいね〜〜センセイ」と、某日系不動産会社のニューヨーク支店長さんに助言をいただいた私。

★しかし、貴重な助言をいただいたのに、うなだれるだけの私。英語もe-learningの導入などで、いい学習ソフトが開発されたら、ほとんどの英語教師は無用になるでしょう。私が、(実質的には)英語教師で食べることができてきたのも、21世紀初頭までの原始的な時代だったからであります。私が、今、大学受験生とか大学生ならば、将来どうやって食ってゆくのか、どのような職種に就けば、まずはとりあえず食ってゆけるのか、どーいう分野だと、趣味と実益をある程度満たせて、かつ社会に有害でないのか・・・働き甲斐だって欲しいしなあ・・・と、考え悩むあまり、夜も眠ることができず、枕を抱きしめて悶々とするに違いない。

★だから・・・公務員になりたい若い人は多いんだよなあ・・・無理もない・・・

★桃山学院大学の学生さんで、公務員試験合格をめざして、1次試験合格は当然の前提として、2次試験の小論文作成の練習をしている男子さんが、「センセイ〜〜小論文の添削してください〜〜春休み使って公務員試験対策講座を受けているのですが、そこの先生の添削がいい加減なんです〜〜」と、私に小論文を書いて送信してきます。

★「あのね、こーいう文芸エッセイみたいな無駄口たたきの、縁側でお茶飲んで夕焼け雲眺めているみたいな文章は書いちゃいけないよ。こういう文章は頭が悪く見えるの。頭の悪い公務員は税金の寄生虫になるから、要らないの」と厳しい事実を彼に指摘しつつ、私はセッセと添削して送ります。

★ともあれ、心より合格を祈ります。何でもいいからさ、みんな、みんな、自分の職を確保して、食を確保して、社会の中に居場所を確保してください。

★「なぜ働かなくてはいけないのか?就職しなくてはいけないのか?それほどカネを稼ぐことがえらいことですか?」と、一見深遠な、一見世間の価値観に毒されていないような、本質的な(?)疑問を発している(つもりの)学生さんもいます。そんな現実逃避の現実遊離の問いはトイレの中で用をたしながらでも発していればいいので、まずは、ともかく自分で食ってゆけるようになるのが先決です。深遠な思考が、それほど好きならば、それを続ければいいでしょう。また、続けるべきでもあります。ただし、それと働いて自分を食わせてゆく行為は両立します。現実に対処して働いてカネを得ると、思考できないなんてことは、ありません。

★こーいう中途半端に小利口で小賢しくはあるが、ほんとうは単に臆病で怠惰で小心で狡猾なだけの学生ってのは、バケツ3杯くらいの泥水をぶっかけてやりたくなります。現実を引き受けて黙って営々と努力する親の背中を見て育てば、こういう「しょーもないプチ哲学者」は育たないはずなのに。それとも食生活がひどいせいなのか。幼少期からの白砂糖とスナック菓子と食品添加物の過剰摂取蓄積による宿便と細胞損傷によって、脳が皮むき甘栗になっているのか。

★大人にならないことの言い訳としての、大人になれないことの正当化としての、現実を引き受けて自立しないことの言い訳としての「哲学すること」って、ありえますよね、確かに。もちろん、こんな「哲学すること」の「哲学」は、アイン・ランドが心の中に構築せよと語る「哲学」とは似て非なるものです。

★前置きが長くなりました。「心の中の基礎工事から始める」は、今回で終ります。まだ、その話題かよ。はい、その話題です。今回は、このテーマに関する、最後の念押しと言いますか、最後の駄目だしです。

★第31回では、本気で自分に何ができるか自らに問う人間は、黙って自分ができることを始めるものだ、無駄口はたたかないものだ、ということが指摘されました。第32回では、考え方を変えるには、橋や道路の工事と同じような段階と時間とエネルギー(&技術も)が必要なのだということが指摘されました。第33回では、そのような知的活動をしつこく継続できる人間が、その数は少なくとも、社会を変えていくのだということが、指摘されました。

★今回では、アイン・ランドは、もう一度しつこく言います。心の中の基礎工事から始めて、構築作業を営々と続けて、自らの哲学という大建造物を立ち上げなさい、そういう個人が増えることでしか世界は救えない、自分自身がほんとうには腑に落ちてもないようなことを鵜呑みにするteacher’s pet=馬鹿優等生=盲目的追従者が何人集まって運動しても、駄目なのだ、と。

★「ひとりの人間に、たったひとりの人間に何ができますか」と他人に(本気でもない)質問していないで、誰か他の人間が動いて準備したら、そこに乗っかろうかな〜〜と狡猾なこと無自覚に目論んでいないで、まずは自分で自分を訓練しなさい。Mind your own business!

★優れた書き手の特徴のひとつは、たとえがうまいということです。アイン・ランドは、比喩がうまいというより、その比喩が見も蓋もないほどゲンキンでリアルで庶民的です。たとえば、ある人間や事物に関わるときに、自分の中の理知に基づく価値観と照らし合わせもせずに、対象に対する観測を怠り、対象に対する冷静慎重な値踏みもせずに、無用心に自分を託すのは、金額を書いていない署名済み小切手(白地小切手)を振り出すようなものだという比喩など、その代表例です。金額書いてない小切手に日付書いて署名して振り出してしまうというのは、(個人)小切手を使用したことがある人ならば、リアルにゾ〜〜ッとする比喩でしょう。私みたいに、口座に大金が入ってない人間は、うっかり振り出した白地小切手にどれだけの金額書かれても、な〜〜んも困りません。不渡りになるだけです。ははは・・・って、笑っている場合か!

★それはさておき、今回の比喩は、「問屋」です。「人間の生活のあらゆる様相の根底にあり、それらを決定する要素は、哲学である。その他のことは、人間の頭脳(思考)がする。哲学とは、人間に関わるもろもろの事柄における『問屋』である」の「問屋」です。現実遊離の現実逃避の無為の口実としての哲学でなく、個人が現実の中で生き延びるために、現実に対処しながら考えた時間と訓練の蓄積から構築した価値観のセットとしての哲学は、あらゆる人間の営みや言動の「問屋」であるとは、実にアイン・ランドらしい比喩です。さすが、草の根の大衆思想家(pop-philosopher)です。

★「問屋」さんは、売り物の生産者と小売業主のコネクターであり、売り物の選別者&管理者です。「産地直送」であること自体は、生産物の質を保証しませんし、良質な生産物の安定的供給も保証しません。「産地直送」は価格が安いかもしれませんが、安けりゃいいってものではありません。仲介者が存在しない直接性は、広範囲な流通機能を担えません。意識や感覚がキャッチしたもの(材料)から、何がしかの認識(生産物)を得て、それらの、もろもろの認識をシャッフルして吟味することによって、使えるもの(価値観、道徳律)を確保管理保存しネットワーク化する(哲学化する)のが問屋なのですから、まさに、「哲学とは、人間に関わるもろもろの事柄における『問屋』である」のですね。

★さあ、心の中の基礎工事から始めて、問屋を開こう。

★ところで、みなさま、ここだけの話ですが、私がニューヨークから帰って、集中力が出ずにへばってしまったのは、時差ボケ&花粉症だけが理由ではないのです。実は、今回の4週間のニューヨーク滞在により、長く心に温めてきた私の「恋」が終ったのであります。35年間ほども、ナンヤカヤと言いつつも、片思いしてきた「アメリカ合衆国」は、現在のアメリカ合衆国とは別のものであると、まるっきり違うと、マンハッタンのビルの間を吹き抜ける雪風にさらされながら、私は、気がついてしまいました。ニューヨークにいるときは、いつも膨らんでいた心の中の風船が、なにやら寂しく小さくなってしまいました。

★あなた、35年の恋が終れば、誰だって脱力しまっせ。「私が好きになったあの人は、どこにいったの?ここはどこ?それとも、みんな私の幻想だったの?私の青春を返して!あなたを好きになった私は正しかったと言って!」であります。

★これから、私のリビドーをどこに放射すればいいのでありましょうか?帰りの飛行機の窓からアラスカあたりの白い山脈を凝視しながら、私は、ずっとロマン化し美化していた男を、ありのままに等身大で受け入れることができるようになるには、何年ぐらいかかるんだろう?・・・いっそ忘れて捨ててしまえばいいんだ・・・でも、正直、未練はすごくあるし・・・とか、いろいろ考えました。

★どこの国の歴史だって、偉大でもあれば卑小でもあります。どこの国だって、政府と国民は違います。国民も、十把一絡(じっぱひとからげ)にはできません。しかし、これだけは言えます。今のアメリカ合衆国は、ニューヨークは、アイン・ランドが寿いだアメリカじゃないのはもちろんのこと、アイン・ランド魂の光が感じられなかった。

★もう、いいです。私は、アイン・ランド魂をアメリカから略奪する。アイン・ランド魂が光るのは、この日本ということにする。アイン・ランドを、ユダヤ系ロシア系アメリカ系日本人作家にする。日本の国民作家にする。