雑文

アイン・ランドのお墓探訪の記(2)


話を、ヴァルハラに戻します。ここの駅から、自動車で10分くらいで、アイン・ランド夫妻の墓があるケンシコ霊園(Kensico Cemetery)に着く。だいたいが、ハドソン河沿岸とかその近辺は、先住アメリカ人(インディアンね)起源の地名が多い。ポーキプシーなんて奇妙で懐かしいような響きも、先住アメリカ人っぽいな。マンハッタン島だって、アルゴンキン族のものだったから、変てこな響きが楽しい地名です。そういえば、ハドソン・スクールの絵には先住民族の宴を描いたものも多い。この町は、『スタンド・バイ・ミー』に出てくるような田舎町で、あの映画に出てきそうなアメリカの悪ガキ風少年たちが自転車で走っている。日曜日は、田舎ではタクシーもバスも休むので、行ってはいけない。なのに、私は日曜日に行ってしまった。だって、出かける前に霊園の管理事務所に電話で確認したら、駅に着いたら電話しろ、そうしたら、送迎用の白い車を差し向けるって、言ったのだよ。ところが、この車が一台しかないらしく、いちいち広大な霊園を訪問客乗せて案内しているらしく、待てどくらせど、ちっとも迎えに来ない。私は、待つということが大嫌いだ。待たされることは、もっと嫌いだ。だから集団行動ができない。たらたら他人のペースにつきあいたくない。会議でも、無駄口を延々とたたく同僚には殺意を感じる。バスを待つのも嫌いだから、ひたすら歩く。

だいたいが、アメリカの田舎に公共機関のみ頼って行くのが馬鹿。車で移動が当たり前の広い国なんだから、レンタカーで行くべきなのだ。でも、私は運転できない。若い頃から、家族に運転免許を取ることを堅く止められてきた。私は掃除機もパソコンも、扱いが乱暴でよく壊すし、注意力散漫だしなあ。しかし、ここまで来てマンハッタンに引き返すわけにはいかない。しかたないので、駅前のデリ(コンビニみたいなもんか)で働いていた青年に事情を説明して、にわかタクシーさんを、やってもらうことにした。彼は香港から来たマレー系アメリカ人で、香港では日本人の友人もたくさんいたからって、そこで売っている中古自動車で送ってくれると申し出てくれたのだ。謝礼は20ドル。10分もしない運転に20ドルは法外かもしれない。日本円の感覚で5000円以上の価値はある。だけど、ありがたかったので奮発した。女一人(たとえ、おばさんでも)なら見知らぬ人間の車に乗るのは不安だったろうが、たまたま、ニューヨークに遊びに来ていた夫がついてきてくれていたので助かった。

霊園はとてつもなく広かった。管理事務所には数組の訪問客が並んでいて、その列の先には、墓に眠っている人の名前と、墓石のある場所をパソコン検索している初老の女性がいる。その女性は、検索し終わると、該当する番号の地図を隣室のファイルから取り出して、その一部をコピーしては、そこにマークする。それから訪問客に行き方を説明して、そのコピーされた地図を渡す。私の場合は、この作業はあっというまに終わった。「ああ、アイン・ランド?」と、引き出しから、ちらしみたいな紙を一枚出して、私に渡してくれた。有名人の墓のロケーションを示すちらしは、沢山用意されているらしい。その女性が、「うちの車が案内してくれるわよ。」と言ったが、さきのことがあるので期待せず。「歩いて行ける距離ですか?」とたずねたら、「20分ぐらいかなあ」という答え。20分なら簡単だ。日本の墓参りみたいに水桶だの線香だの蝋燭などは持たなくていいし。グランド・セントラル駅構内の花屋で買った薔薇の花束をふたつ(ランドの夫のフランクにもね!)持って、意気揚々と歩き出す。私の好きなコスモスがあれば買ったのになあ。秋にはまだ間があるしなあ。薔薇を買ったのは、ふとウイリアム・フォークナーの短編A Rose for Emilyを思い出したから。Roses for Ayn Randなのさ。