雑文
前のページへトップへ次のページへ

アイン・ランドのお墓探訪の記(4)


帰りこそ、霊園の送迎自動車に乗ろうと思って、しばらく管理事務所で待っていたけれど、やはり来なかった。駅から霊園まで車で10分もしない距離ならば歩けば30分だから、私は歩くことにした。霊園の入り口近くにメトロノースの線路が通っていて、その線路伝いに東に行けばヴァルハラの駅に行くはずだ。線路沿いに国道みたいな数車線の道路が走っているから、その道路わきを歩けばいいと思い、歩き出したのはいいけれど、すごいスピードで車が飛ばして走っていくので、怖い。クラクション鳴らす馬鹿もいる。あ、ここは歩いてはいけないところかもなあ??でもしかたないよ。しかし、あんなに飛ばしていいのか?日本の高速道路並みだ。その迫力は、スティーヴン・キングが原作の映画『ペット・セメタリー』の一家の住む家の前の道路を疾走する大型トラックの感じ。禍々しい感じ。末っ子をはねとばしたトラックね、わかります?気分は、死体を捜しに森を歩いていく『スタンド・バイ・ミー』の少年たち。こんなふうに、心細かったのかな、彼らも。キングが舞台にしたメイン州の田舎もこんなもんだろう。運転免許持っていたら、メイン州にあるキングの屋敷も見に行ったのになあ、やはり運転免許とらないとあかん、もう年だから性格も落ち着いてきたんじゃないか、でもないな、自動車学校の教官も昔はえらそうな態度だったらしいけれども、最近はまともらしいぞとか、問題は駐車場なんだよな、もう一台なんて家計的には無理だなあとか、どうでもいいこと考えているうちに駅に到着。ほっとした。まったく、アメリカの田舎はかなわん。車なしではどうしようもない。

ホームから望むヴァルハラの町は、日曜日の昼下がりの中で、のんびり昼寝をしているような静かさ。これがあと数時間もして日も暮れる午後8時過ぎになれば、駅前の小さなダイナーや酒場にも灯がともり、活気づいてくるのかもしれない。地元の男たちが集まり、体の線がぴったりと出るようなTシャツを着たウエイトレスたちがテーブルを縫って給仕するのかもしれない。店内にはタバコの煙や嬌声が充満するのかもしれない。ぼんやりいろいろ想像していたら、自転車を持ってホームにいた小学校高学年くらいの少年たち五人ほどのグループから時間を聞かれたので、教えた。例の『スタンド・バイ・ミー』風の子どもたちを、もう少し育ちをよくした感じの少年たちだ。きれいな少年たちだ。電車が来たら、彼らは自転車を車内に運んでいた。アメリカでは、そういうことができるらしい。

さて、終点のグランド・セントラル駅までは、ぼんやり車窓からの眺めを楽しめばいいだけだ。疲れが出てきたのか、眠くなる。今度は、いつこの町に来ることができるのだろうか。2005年はランドの生誕100年だから、遅くともその年には、またこの町に来よう。幸福な、だけれども、長居は決してさせてもらえない楽園から帰るような寂しい気分で、シティに帰った私でありました。


――――――おわり

前のページへトップへ次のページへ