論文
危険なフェミニストの「冷戦ナラティヴ」――アイン・ランドの『水源』

はじめに

本論は、フェミニズムの文脈から、冷戦時代のアメリカ文学を考える作業のひとつである。冷戦期はジェンダー体制強化のフェミニズム抑圧時代であり、だからこそ一九六〇年代半ばより台頭した第二波フェミニズムをはらみ産んだ時代となった。したがって、四〇年代半ばの冷戦準備期から、「赤狩り」によって冷戦体制が確立した五〇年代から六〇年代にいたる冷戦強化期において、フェミニスト意識のある作家の表現は、意識するにせよ、しないにせよ、「冷戦ナラティヴ」にならざるをえない。「冷戦ナラティヴ」とは筆者の造語である。「ジェンダー強化を含む冷戦体制に影響され、それに順応しつつ暗に批判もしているような、冷戦体制特有の問題に反応して書かれたもの」という意味で使用する。(1)本論ではアイン・ランド(一九〇五-八二)という作家の「冷戦ナラティヴ」の相を考察したい。

筆者が知る限り、この作家は文学という文脈では日本にはほとんど紹介されたことがない。ランドが日本に紹介されているのは、文学ではなくて政治思想の文脈においてである。現代アメリカ政治思想研究の第一人者であり、かつ評論家である副島隆彦が、リバタニアリズム(libertarianism)という政治思想がアメリカで台頭しつつあることを論じ、日本的リバタリアニズムを提唱して最近注目を浴びている(副島 二九四―三二二)。(2)アイン・ランドは、その核となる思想の先駆者的提唱者として副島によって日本に初めて紹介された(副島 二九四)。実際のところ、ランドは、政治思想や哲学的著作のほうが文学作品よりはるかに多いのだ。しかし、実は彼女ほど冷戦とアメリカ文学を論じる上で、適格な作家もいない。まずは本題に入る前に、冷戦がフェミニズムを産む母胎となった経緯を確認しておきたい。