論文
危険なフェミニストの「冷戦ナラティヴ」――アイン・ランドの『水源』

ジェンダー強化体制としての冷戦

アメリカは、ふたつの世界大戦後、それぞれに戦後の繁栄を享受した。ただ、その繁栄のありようには差異があった。それはジェンダーに関するものであった。第二次世界大戦後は、結婚率の上昇、結婚年齢の低年齢化(二〇代から一〇代へ)、離婚率の低下、出産率の上昇、および女の高等教育機関への進学率の低下(二九年には四七パーセントだったが五八年には三五パーセント)と女子大学生の結婚退学率の上昇(六〇パーセントに至った年もある)と就業率の低下が起きたのである。第一次大戦後においては、十九世紀半ばより勃興した第一波フェミニズムの成果もあり、女性のジェンダー規範はそれ以前に比較すると緩和され、女性の社会進出は増大し、高等教育機関への進学率は増した。結婚年齢は高くなり離婚も増えた。三〇年代の大不況時代においては、家庭経済を支える要請から娘たちは就労を期待され、結婚年齢の高齢化はさらに進んだ。第二次世界大戦中の一九四〇年代前半は、国内における男の労働力不足を補うために、労働市場への女の召還は国家的要請ともなり、女の社会進出はさらに促進された。結婚と労働をめぐる伝統的なジェンダー拘束の弱体化は、十九世紀半ばより確実に進行していたのだ。その動きが第二次世界大戦後に停まり、今度は逆行したのである。

歴史学者のイレーヌ・タイラー・メイが、この女の「家庭封じ込め」(containment at home)現象、もしくは伝統的家庭復興(domestic revival)を、冷戦時代のアメリカ人の心理の反映として説明している。三〇年代の大不況に続く第二次世界大戦という苦難を通過して国家的繁栄とは裏腹に疲労していた一般のアメリカ人が、さらにソ連への不安と恐怖をあおられて、「安全」を確実に希求し伝統的家庭という個人領域にひきこもる退行現象を示したというのである(メイ 一三)。

さらにメイは、この伝統的家庭回帰現象というジェンダー強化体制は、アメリカ人の心理的問題であったばかりでなく、アメリカ政府のソ連「封じ込め政策」(containing policy)の一環でもあったと指摘する(メイ 一三−四)。その象徴的なシーンは、五九年にモスクワで開催された「アメリカ展」において見られた。当時の副大統領リチャード・ニクソンが、当時のソ連首相ニキータ・フルシュチョフに会場で誇示したのは、意外にも便利な最新式家庭電化製品が整備された「台所」だった。ニクソンは、そのとき、新しい家電製品を駆使して楽に安全で豊かな家庭生活をおくる主婦の領域を見せつけることで、アメリカ国民の幸福と繁栄を強調したのである。アメリカの技術によりますます便利になるアメリカ式生活を享受して家庭内で満ち足りて個人生活を楽しめるアメリカ女性は、アメリカの優越のシンボルなのだ。家庭外と家庭内の二重労働をして、なおかつ自由競争を排した計画経済と集団農業と国営企業の非効率な経営のために慢性的物資不足に悩むソ連女性より、アメリカ女性は圧倒的に幸福であり、それができるアメリカは偉大なのだ(メイ 一六−二〇)。冷戦の武器はミサイルだけではない。

このように、女が国家間競争というゲームの「コマ」として使用されることは珍しいことではない。「女は国家的象徴として国家の連続性と普遍性の守護者、国家にふさわしいまっとうさの化身」なのだから(モッセ 一八)。このような発想の起源は、自然や大地など生命の源泉と女を象徴的に同一化するアニミズムである。アニミズム的世界観を否定し、男性唯一絶対神を立ち上げたのはユダヤ/イスラム/キリスト教であり、アジアの主な宗教もアニミズム的女神宗教ではない。だからといって、人々の深層心理から国家=不変の大地=女という等式が払拭されたわけではない。もしくは、こうした心性の起源は、女を男の私有財産として見なし、男間の交通を成立させ男間ネットワークを形成する交換物/媒介と見る家父長制だろうか。国家が巨大な家父長制ならば、国家間戦争が複数の家父長制の闘争となることによって、家父長制の財産であり交換財である女がターゲットになるのは不可避だ。この極端で冷酷な事例として、強姦が家父長制という国家間の闘争のシンボルとして利用されてきた史実を上野千鶴子は指摘した。「女性のセクシュアリティは男性のもっとも基本的な権利と財産であり、それを侵害することは当の女性に対する陵辱だけではなく、それ以上に、その女性が所属すべき男性集団に対する最大の侮辱となる」と彼女は述べている(上野 一〇七)。

この事例は、つい最近もコソボ紛争において凄惨にくりかえされた。「熱い戦争」においては敵国の財産と権利はく奪として女の強姦が採用されるが、アメリカとソ連の「冷たい戦争」においては、ソ連の男の財産である女を無効にするべく、アメリカの男の財産として「完全設備のキッチンで美しく微笑む主婦」が示威された。したがって、第二波フェミニズムの先頭を切って六三年に登場したベティ・フリーダンの『新しい女性の創造』が、郊外族の幸福な(はずの)主婦の鬱屈と危機と社会への悪影響を論じたものであったのは必然だったのだ。ジェンダー強化体制が国策であった冷戦がフェミニズムを産む母胎となったと、前述したゆえんは、ここにある。

本論で取り上げるアイン・ランドは、二〇年の女性参政権獲得により運動の中心点をなくし三〇年代の大恐慌の嵐の中に退潮していった第一波フェミニズムと六〇年代後半からの第二波フェミニズム誕生の間という端境期に、過激な英雄的ヒロインを造型している。彼女の提示したヒロインたちが、第二波フェミニズムを受け入れることになった冷戦期のアメリカの女たちに全く影響を与えていなかったとは考えられない。アイン・ランドとはどういう作家であったのか。