書評    Almost Monthly Book Review
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■2002年2月に読んだ本から

秋元秀紀著 『ニューヨーク知識人の源流----1930年代の政治と文学』
彩流社 2001.10.15. 422pp. \4,500


このテーマに関する、この本を越える研究は、少なくとも日本においては、当分の間は生産されない、と思うよ。断言してもいい。すごい量の注と参考文献リストだ。調査能力と体力と粘りあるなあ・・・この著者は。まだ40歳前ですよ。同じ学会の人だけど、私は会ったことがないなあ。とにかく、著者の関西大学教授の秋元氏は、あくまでも謙虚に語り始めます。「冷戦期、ポスト=冷戦期を含め、30年代以降のアメリカ文学・文化研究は、今後<ニューヨーク知識人>の重要性を再発見していくだろうと私は確信している。彼らの出発点を描いた本書が、今後の研究の基礎資料として寄与することを望みたい」(4)と。その初期ニューヨーク知識人である「彼ら」の中には、Edmund WilsonやDaniel BellやLionel TrillingやIrving HoweやMalcolm CowleyやLesilie Fiedlerがいる。Mary McCarthy やHannah ArendtやElizabeth Hardwickがいる。少なくとも、彼らは、戦後のアメリカの人文学系知的風土を決定した人々の一角を占めている。ほとんど、ユダヤ系によるintellectual communityですね〜歴史的にゲマインシャフトに依存できない流浪の民族の、アメリカに形成した頭脳のゲゼルシャフト、とも言うのは安易か。

30年代にアメリカ南部の大学で生まれ、40年代には一世を風靡して、50年代には大学で大いに教えられ、60年代以降は高校あたりまでの文学教育法になり、今や現代では日本の義務教育の国語教育法(特に詩の解釈ね)に利用されている、「新批評」(New Criticism)という文学テキストの読解法があるが、それだって、彼らとの提携(?)がなければ、戦後に本流に入れられることはなかったんじゃないかな。冷戦強化期に息の根を止められかけたマルクス主義批評が、新マルクス主義批評となり、現在は「文化左翼」として生き延びているのは、彼らが30年代を神話化しないで、忘却しようとしないで、検証し続けた知的遺産があったからだと思うな。それなりに層は厚かったから、時流に乗らないで、そういう作業をきちんとした、そういう人々もいたんだわさ。

60年代後半以降のアメリカにおけるフェミニズム批評や新マルクス主義批評や構造主義導入や、その後の脱構築理論を始めとした様々な文学・文化批評理論の百花繚乱は、彼らの仕事の土壌から生まれ育てられ、彼らの仕事を再考、批判することから発展したんだと思う。これらの人々は、戦後多くが大学で教えたからね。戦後のアメリカ文学のキャノン形成は、彼らがしたのでありますよ。彼らが認めた作家が、エライ作家ということになったの(ちなみに、誰もAyn Randのことは書いてない)。私が大学院に入学した1970年代末の英文科院生のアメリカ文学専攻生の必読文芸批評書は、だいたいが、この人々の書いたものだったもの。だから、彼らに教えられた人々が、彼らの仕事の「影響の不安」に対して抵抗してきて、何か新しい読み方はないか?って頑張ってきて、いろんな手を考えてきたというのが、実際のところだろう。だから、戦後アメリカの文学研究者(と、そのまねっこの日本のアメリカ文学研究者)は、ずっと「ニューヨーク知識人」の影の下にいたし、今もいる。だから本書の意義は、実に実に大きい。だって、このことはきっちり自覚されていないもんね、アメリカ文学研究者たちにも。まあ、だいたいが無自覚な人々が多い分野ではあるが。

幅広く綿密なリサーチを経て、本書で提示されている事象は、大きくみて二つある。第一は、1929年開始の大不況時代=「赤の時代」に台頭した共産党系団体、John Reed Clubのニューヨーク支部の機関紙として、プロレタリア文芸運動高揚を役割として、34年に創刊された雑誌『パルティザン・レヴュー』(Partisan Review)の戦後にいたるまでの変遷。36年から数年続いたモスクワ裁判(スターリンの反対派粛清だわさ)と39年のドイツとソヴィエトの不可侵条約締結(帝国主義とファシズムからの良心の砦と思われていたソヴィエトが、その代表みたいなナチスと手を結んだから、社会主義に未来を賭けていた人々は愕然とした)から生じたソ連の大義への疑惑と幻滅から、『パルティザン・レビュー』は、創刊当時から胚胎していた「共産党系文芸誌」以上のものであろうとする志向=政治の下僕には断じてなるまいとする意志を鮮明にし、「二つのM(Modernism & Marxism)」の統合の方針をより明確にしていった。1920年代のモダニズム文学の成果は、マルクス主義の実現によるより良き世界の実現に役立てられるんじゃないかと。荒っぽい、定型化したプロレタリア文学は、文学としては反知性的で粗雑であかんからと。ついには誌名とは矛盾する「非党派的」な政治文芸雑誌になり、戦後は、ここに書かなければ「本物の知識人」とは目されないような確固とした位置をアメリカ文壇に占める高級ハイブラウ文芸雑誌となり、今日にいたっているのだけれども、本書が描くのは40年代までです。

第二に提示されているのは、その変遷に関わった(初期)ニューヨーク知識人と呼ばれる人々の、知的彷徨、知的闘争の諸相。『パルティザン・レビュー』編集者たち(主にPhillip Rahv, William Philips, Dwight Macdonald)と『パルティザン・レビュー』常連執筆者たち(主にClement Greenburg, Delmore Schwartz, Lionel Trilling, Irving Howe)と、彼らと政治的志は同じであったのに『パルティザン・レビュー』と敵対した「赤い時代」の申し子たち(主にGranville Hicks, Malcolm Cowley)の思想上の交差点と相違点を、本書は跡づけるわけです。彼らの闘争は、雑誌という紙上におけるペンの争いであったので、本書で描かれるのは、『パルティザン・レビュー』 の変遷ばかりではなく、The NationとかThe New RepublicとかNew InternationalとかPolitics とかAmerican Mercuryの、右にせよ左にせよ、アメリカの主たる政治文芸雑誌群の興亡と攻防でもあるよ。ま、とっくに廃刊されている雑誌もあるけどさ。

著者の秋元氏は、「安易なテキストブック的な記述に溶解しない」(393)ために、「かつて存在した人々の切実な言葉を、非歴史的に、超越的に批判するような理解のあり方」(394)を避けていらっしゃる。「ナラティヴの枠組みで構想する方法をとった」(393−4)ので、これらの交錯し重なり合う二つの事象は、章ごとに年代記的に説明されない。30年代から40年代への転換期、つまりソ連と共産党への幻滅と、赤の時代の終焉という地点を中心に、その地点の知識人たちの動揺と転向が語られる。その地点を理解するために、記述は過去に遡及し、またその地点にもどる。しかし、その地点は、また新たに別の視点から語りなおされる。かつ、その地点を、そこを過ぎた視点で語りもする。

こういう記述の仕方は、私みたいな単純な人間にはわかりにくいのだけれども、年代記的書き方って、ついつい起承転結つけて整理して記述したくなるから、「脈略勝手につける」ことになるから、やばいと言えば、やばいんですね。思い込みや憶測や主観で書いてしまうことになる。まあ、ほんとうに客観的描き方なんてないとは思うけどね。ともあれ、ただただ事象を語ることによって、事実を、真実を浮かび上がらせるというのが、著者の真意なんだろうと思う。そうした特異な記述から浮かび上がるのは、文学と政治の共存/生産的関係形成と、その維持の困難さの問題であります。

こういう記述を採用しているくらいだから、この地点のニューヨーク知識人たちと、戦後の彼らの「リベラル化」という非政治化を、どう考えればいいのかについては、著者は語っていません。彼らの「回心」を、本書も言及しているMark Shechnerの言った「革命主義のゲットーから個人主義のアパートへのマス・エキソダス」(287)という言葉で、片付けるのは、辛いんだよね、私は。だけど、非政治化とは、きわめて政治的な態度(=保守化・現状維持)であることは、明らかすぎる。若き日々に、彼らが信じて賭けたマルクス主義は、自分たちが愛する文学に冷淡で、文学などプロパガンダの道具にくらいしか思ってない。その思想を実践する未来の国ソヴィエトが、戦後は全体主義の抑圧国家になり、自国と敵対している。理想なんて方便で、リアル・ポリティクスは、弱肉強食、パワー・オブ・バランスであると言われれば、返す言葉もない。所詮、大きくみれば、文学は負け犬の遠吠え?誇り高き遠吠え?が、ほんとうにそれだけか、文学はそれだけのことなのか?と彼らは悩んだに違いない。わかるわあ・・・

文学が政治から距離を取るのは、文学の自立なのか?もしくは逃避なのか?逃避という体制強化維持協力なのか?それとも、文学こそは個人の最後の精神的要塞か。まあ、すぐに陥落しそうな要塞ですが・・・この問題は、きつい。こういう問題は、考えてはいけないことになっている。だから、私はいつも、この問題から逃げている。「あたいは、これしかできないから、しかたないじゃん」と。「べつに、この世の片隅でやっていくから、ほっておいてねと・・・」と。あ、やはり世捨て人やってますねえ。

本書と並んで、山下昇編著『冷戦とアメリカ文学』(世界思想社、2001年)に収録されている、秋元氏の「冷戦初期のニューヨーク知識人----1950年代にいたる政治的対立と共同の模索」も、あわせて読めば、本書への理解が一層深まると思います。私は、本書を読んで、やっとMary McCarthyとHannah Arendtの書簡集(Between Friends: The Correspondence of Hannah Arendt and Mary McCarthy 1949-75)において、彼女たちに噂されている人物たち、彼女たちの仲間「ニューヨーク知識人」の相関図が把握できたなあ。噂話は、噂されている人物たちの背景を知らないと、楽しくないからね。翻訳が『アーレント=マッカーシー往復書簡---知的生活のスカウトたち』(佐藤佐智子訳・法政大学出版・1999年)出てます。この副題は大げさだ。「インテリ女ふたりのゴシップ交換集」でいい気がするなあ。MaryはArendtから、「あんた、いい加減に結婚したがる根性直しなさいよ。男は作っても、結婚はしなさんな。ことがややこしくなるでしょーが。今度の男は妻子持ちでしょーが。あんた3回離婚してんだよ」なんてことを言われてる。

実は、私が2000年夏にニューヨークに行ったのは、「ニューヨーク知識人のユダヤ系女性たち」の資料を集め研究するつもりだったから。「左翼系ユダヤ系女性の群像」ね。行ってから半年は遊んでいたし、次の半年は、Ayn Randばかりやっていたから、結局、この計画は頓挫している。だから、この本読んで、またやりたくなったなあ・・・・

最後に、超私的な苦情をひとつ。この本が、凡百のアメリカ文学研究書とは違うなあ、と思ったことは、ちゃんと、この本は『パルティザン・レヴュー』の出版に必要な資金の出所について記述している、ということです。普通のアメリカ文学研究者は、こういうことに気がつかないよ。文学の商品としての生産・流通過程の物質的基盤というのに、うとかったりするよ。だけど、この本はそういうことも、気にかけてる。私としては、もっともっと気にかけてほしかった。
 たとえば、この雑誌の「転向」に際して、前の出資者がことわってきたので(思想的な理由かどうかわからない)、何か別の出資者(こういうのエンジェルと呼ぶよね)が出てきたんで路線変更しての出版が可能になったのだけれども、それについては諸説いろいろで・・・ということしか言及していないです。まあ、注についてる文献を私が入手して読めばいいのだけどさあ・・・金の出処って、大事な大事な問題じゃない〜〜?文化には金がかかる。芸術は金がかかる。だからこそ政治から分離されることができない。だって、パワーがからまない金って、あるのか?秋元さんに会う機会があったら、尋ねてみます。


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