書評    Almost Monthly Book Review
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■2002年3月に読んだ本から

広瀬隆 『アメリカの経済支配者たち』
集英社新書 1999.12.6. 254pp. \700


著者の広瀬氏は、80年代に、あのチェルノブイリ原発事故のあとに、『危険な話』とか『東京に原発を!』で、原子力発電所の危機を訴えた、あの広瀬さんです。久しぶりに、この人の本を読んだ。

本書の冒頭で、広瀬さんは語る。「人間には二種類しかない。財産が増え続ける人間と、いつまで働いても金が増えない人間である。これは神が与えた運命ではなく、人間がつくりだす社会の精密な仕組みから生まれる必然的な結果なのである。」(15)と。あ、これしみじみわかる。親の残した財産を浪費して路頭に迷うとかいうのは、これ貧乏な庶民の小金持ちの例で、浪費して消える財産なんて、財産のうちには入らない。また、すごい財産を一代で築いた人間というのは、ともかく遺伝子が強いから、その子どもたちもその遺伝子を継承して、遺産を減らすなんて馬鹿はしない。「金持ちのドラ息子」なんて、貧乏人の希望的幻想よ。強い奴は、ずっと強い。子々孫々強い。否が応でも子々孫々が強くあれるようなシステム整備に長年知恵を傾けている。個人の力量ではなくて、個人がどれだけアホでも守られるだけのシステムを作って維持して強化する。そして、世界の政治も経済も軍事もメディアも、彼らのシステム強化のために、操作されてきたし、これからもされる。

本書に書かれているのは、現在の世界の政治と経済と軍事とメディアを支配する「ほんとうの金持ち」たちのマッピングです。一代や三代くらいでは蓄積できない情報網と人脈を持つ人々の相関図を示しています(この相関図は、つまり婚姻関係で形成されていく「つるみ具合」は、すごく複雑だから、系図にされていたり、図解されているわけではないよ。だから、一読しただけでは、相関関係わかりません〜)。本書は、こうした支配者たちを、中丸薫さんみたいに「闇の勢力」と呼んだり、おびただしく棲息する「ユダヤ陰謀論者」みたいに、おどろおどろしく神秘化しない。事実をクールに列挙しています。その事実とは、これら財閥たちの婚姻関係で形成されていった「関係」です。ただし、彼らが、具体的に、そういう関係を通じて何をしたかが、史実に照らし合わせて、資料を駆使して記述されているわけではないです。そういうことは、言及にとどまっています。

本書は、その「ほんとうの金持ちマッピング」のやり口を、七つの相から説明しています。第一は、財閥(ヴァンダービルトとか、カーネギーとか、アスターとか、ロックフェラーとか、モルガンとか、デユポンに、ホイットニーに、グッゲンハイムに、デユークに、メロンにウールワースとか。これらの財閥がまた閨閥結婚でつるんで更に強大になるわけ)が、継承財産を減らさないどころか、もっと増えていくように、政治や金融や法律を操作するやり口。第二に、南アフリカの鉱山利権を確保して、絶対にアフリカ人に好きにはさせないヨーロッパ人財閥たちのやり口。紙幣の金は、どうなるかわからない不安定性がありから、ゴールドとかダイアモンドとかの貴金属支配は、絶対に譲れないよね。第三は、こうした財閥たちの要請を受けて、経済戦略を練り実行するCIAのやり口。第四に、ロスチャイルドなどのヨーロッパ財閥とヨーロッパの貴族たちが、婚姻関係を通して経済と政治支配を強化してきたやり口(イギリス王室って、すごい。ならばダイアナぐらい殺すよ)。第五は、ニューヨークのウォール街の国際投機人脈の話。インサイダー取引やりながら、体裁のいい賭博と詐欺をやりながら、巨額の金を好きにする人々のやり口。第六が、こうまでして守り増やしてきた財産を税金で持っていかれてはかなわないというわけで、ほんとうの金持ちたちの財産隠し=タックスヘイヴンの地下経済の話です。で、最後が、十九世紀にできあがった財閥と、新興勢力(ビル・ゲイツみたいなエレクトロニクス・ジャイアンツたち)の提携による、報道メディア操作のやり口。

著者いわく、「アメリカの遺産相続人が最もおそれるのは、国際的にアメリカの地位が低下することである。十九世紀までに確立された富裕国と貧困国の貧富の差がなくなれば、利回りの国際的価値が低下する。その結果、金利や株の上昇率が低下すれば、遺産を維持できなくなる。ヨーロッパとアメリカの富豪社会が投資している証券の価値が、円〜ドルのような為替レートの急変で目減りすることは、彼らの生活をおびやかす恐怖となる」(57)のだから、彼らは、自分たちに都合の悪い状況にならないように、世界中の政治や経済に介入するし、戦争を起こしたりもするよね。貧乏人には貧乏人の戦いがあるけれど、金持ちには金持ちの戦いがあるんだなあ。

そういうわけだから、南北問題が解決するはずない。第三世界と先進国の格差が縮むはずない。「差異」あってこそ、金融操作のうまみが出るのだから、アジアやアフリカや中東と、欧米の差異は、維持しておかないとねえ。日本に好きにさせるはず絶対にないよね。人種差別って、心の問題ではないのだよね。金の問題なんだな。「文明の衝突」なんて、実はない。利権争い、既得権永久確保の闘争があるだけ、なんだよね。

また、そういうわけだから、アメリカには、「民主党も共和党も存在しない。大統領選挙は、候補者が最低数千万ドル、日本円で数十億円をかき集めなければならないので、政策で富豪の了解をとりつけてから両党の対立が演出され、国民が総動員されるアメリカの大パーティなのである」(99)。だから、「アメリカには、財閥党というひとつの政党しか存在し得ないメカニズムがある。それは選挙に必要な巨額の資金問題」(100)ということになる。本書には、アメリカの歴代大統領たちが、誰の資金援助を受けてきたかも書いてある。大統領が、真に図るべきは、財閥の利益であって、国民の利益ではない。自分だけは財閥を利用できると油断すると、クリントンみたいにスキャンダルまみれになる、と。ケネディのことは書かれていないけど、やはり財閥党に暗殺されたのかな?

著者は、最後に「われわれは、金を忘れて、まったく別の豊かな人生を歩むことが許されている。神は、われわれ庶民に、最大の力を与えてくれたのだ。それは古来、知恵を呼ばれてきた」(254)と結ぶのだけどさ、ならば、この著者は、なんでこの本を書いたのかな??これが世界の現実だから、「日本人よ、騙されるな!」ってことが、言いたいわけでもなさそうだし。こういう人々相手に、日本ができることは、「馬鹿なふり」のゲリラ戦だよねえ。「僕、何言われているかわかりません〜〜僕馬鹿ですから〜」と、しらを切りとおして、頑強に日本の利益を守るしかない。それを、暗に言いたいのかな?この著者は、左翼でもなさそうだ。中学校の生徒会長みたいな正義感の臭みは、この本にはないから。もしくは、世界の経済支配者たちに翻弄されっぱなしになるしかないにしても、何もわからずに好きにされるより、相手のやり口は見えている方が、まだましだから書いた、ということなのかな。いくら何でもさあ、「財閥さんたちは、これだけ苦労して、ほんとにご苦労さん!庶民とあんたたちと、どっちが自由で幸福かは、わかんないよね〜〜それは神様の領域のことだからさ〜〜」ということが言いたくて、書く、なんてことはないでしょう?

どうも、私には、この本の意図がつかめない。単に、好奇心で書いたのかな。一細胞が、自らが含まれる一個の有機体に関心を抱くようなもの?ならば、高級オタクみたいなもの?自分には関係もないし、自分がどうこうできるものではないけれども、関心があるというのは、女性週刊誌の皇族ネタの根強い人気も理由でもあるから、単にミーハー的興味ということも考えられる。しかしなあ・・・それも、説得力ないよねえ・・・内容は読みやすく、情報も豊かだけれども、やはり意図がわからん。主張がわからん。「売れる本」を書かないといけないから書いた、ただそれが理由かな。うん。これが、一番納得いく理由かな。

ところで、この広瀬隆さんって、どうして、ず〜〜と、コンスタントにこういう本を出版し続けることが、できてきたの?ほんとうのフリーランサーとか、正義の一匹狼ならば、こういう類の問題、巨悪を暴く系のルポ(『私物国家』とか『アメリカの巨大軍需産業』とか、ロスチャイルド一族の歴史『赤い楯』も書いてますね、最近)を書いていれば、どこかでつぶされるでしょう。「意図や主張が(わから)ない暴露本」は安全だから、つぶされないの?考えてみれば、この著者って不思議な人だ。ずっと、こういう問題を書いている。資料収集だけでも大変だし、個人で手に入るのかなあ?この手の人で、文化左翼みたいなのは、マスコミにも出たりして、しょうもない正論言うけど、この人、露出度も低いし。なんか、えらくいい位置をキープしているような・・・・まあ、いいけどさ。

では、なぜ私は、こういう「意図や主張が(わから)ない暴露本」をここで書評しているのか?金にもならんのに。はっきり言えば、文学や映画は現実逃避の手段でしかないけれども、こういう「世界戦略の見取り図」関連本というのだって、現実直視に見えて、実は現実逃避になりうるのよ。「あたいの人生は矮小で、食っていくために。しょうもないことしなければならない。でも、そんな、しょうもないことでクヨクヨすることもないんだ。世界の大勢から見れば、こんなことどうでもいいんで、こんな小さな庶民の人生の不如意なんて、どうってことないんだ。気にかける必要もない、どうでもいいことなんだ。新聞の社会面に書きたてられる事件なんて、視野の狭い庶民中の馬鹿庶民のやることで、そいつらもこの世界の仕組みを知れば、そういうしょうもないことに、ムキになることなんかなかったのに〜〜馬鹿は死んでも馬鹿で、永遠に馬鹿。あたいは、こういう現実の弱肉強食の世界に生まれ生きて死んでいくんだ、その事実からは目を逸らさないんだ、セコク計算しても、計算しなくても、似たようなもんだ。どうでもいいことで悩むのは、馬鹿な庶民の惨めさに、余計、惨めさを加えるようなもんだ。でもって、この馬鹿な庶民の状態だって、そう居心地が悪いもんではないし・・・」という気分になるのよ、結局は、こういう本を読むと。実人生の矮小なる闘争に勝つために、大きな世界の闘争に目を向ける、ってのも、また現実逃避の一例なのであります。ああ、そうか・・・広瀬さんも、私と同じなのかも・・・。

欧米の大財閥と新興財閥が、結託して世界操作やってます〜という本書を読んだので、アイン・ランドのAtlas Shruggedに描かれる非情で苛烈な世界が、美しい甘い童話になりました〜〜。小説家って、しょせんは中産階級でしょう。文学作品が、絶対に書けない世界ってあるのよ。それは、「ほんとうのお金持ち」の世界と心理。「ほんとうのお金持ち」は、作家にはならないもん。なんで書く必要があるの?屈託なんてないんだからさ。作品世界に変換して昇華しなければならない苦悩があるわけ?それに、作家という仕事は、苦労のわりには、注ぐエネルギーのわりには、金にならない。金がないから、金を得ようと、苦労して書くんだから、最初から金があるなら、書きません。だから、小説というものが、「ほんとうのお金持ち」を書いたことは、小説が生まれた18世紀以来、ない。皆無。「ほんとうのお金持ち」の世界と心理は、宇宙より測り知れない人跡未踏のテーマよ。ランドの書いた「産業家」たちは、あくまでも中流階級の人々の倫理観と想像力の産物だよね。やっとこさ成金の産物かな。『華麗なるギャッツビー』(Great Gatsby)書いたフイッツジェラッルドっていう作家は、このテーマに非常に関心があって、書こうとしたのだけど、その作品、"A Rich Boy"は、面白くない・・・物語にならなかったんだよね。そうか、物語も金か。金が問題だったのか、やはり。あたりまえの事実に気づく花粉症の春でした。


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