Ayn Rand Says(アイン・ランド語録) |
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原子爆弾製造秘話映画のシナリオを依頼されたアイン・ランド(その1) [12/28/2008]An attempt to make a picture on the atomic bomb can be the greatest moral crime in the history of civilization---unless one approaches the subject with the most earnest, most solemn realization of the responsibility involved, to the utmost limit of one’s intelligence and honesty, as one would approach Judgment Day---because that is actually what the subject represents. The responsibility of making such a picture is greater than that of knowing the secret of the atomic bomb. The atomic bomb is, after all, only a piece of inanimate matter that cannot set itself in use. Whether it’s used and how it’s used will depend on the thinking of men. The motion picture is a most powerful medium of influencing men’s thinking. To use such a medium on such a subject lightly or carelessly is inconceivable. If there is any reason why this picture be made honestly---it is better not to make it at all. There is no possible reward that can be worth tampering with such a subject and its consequences. Money? All of us are quite rich---and even if we were broke and starving, we could not permit ourselves to make money that way; it would be more honorable to become hold-up men. Prestige? What prestige? One does not achieve prestige through a dishonest thing. We all have names which are respected--- and we will dishonor ourselves by earning the contempt of the thinking people and of the plain, honest public. We cannot fool anyone; the tone of a picture that fudges, evades, and compromises is recognized immediately by everyone. (9 “Top Secret” in Journals of Ayn Rand) (原子爆弾に関する映画を製作する試みは、文明の歴史において最大の道徳的犯罪になりかねない。それに関する責任というものを、もっとも誠実に、もっとも厳粛に認識して、知性と誠実さの限界を尽くして、原子爆弾というテーマに臨まなければならない。まさに最後の裁きの日に臨むときのように。なぜならば、まさしく、その最後の裁きこそが、このテーマが表現することなのだから。 そのような映画を作る責任というものは、原子爆弾の秘密を知るより大きい。畢竟(ひっきょう)、原子爆弾といっても、それ自身は自らを行使させることはできない一個の無生物でしかない。それが使用されるかどうか、いかに使用されるかは、人間の考え次第である。映画は、人間の思考に影響を与えるのに最も有力な媒体、表現様式である。原子爆弾というテーマに、映画のような媒体を軽々しく不注意に使用することは、考えることさえ許されない。 この映画が誠実を製作するわけにはいかない理由があるのならば、そんな映画は作らないほうがいい。いかほどの大きな報酬があっても、原子爆弾というテーマと、その結果(映画作品)を弄ぶようなことはしてはいけない。カネ儲けですって?我々はみな、それなりにカネは持っているではないか。たとえ破産し飢えようと、原子爆弾に関する不誠実な映画でカネを稼ぐことを自身に許すことはできない。強盗でもするほうが、まだ名誉なことであろう。威信を得られる?どんな威信か?不誠実なことをして威信を得ることはできない。我々はみな、敬意を払われるべき名前を持っている。だから、そんな大事なテーマに関する不誠実な映画など作ったら、きちんと物事を考えることができる人々や公明正大な公衆の軽蔑を買うだろう。そのことで、自らの名誉を汚すことになるだろう。我々は誰をも侮ることはできない。あいまいで、大事なことを回避して、妥協しているような映画というものは、その基調というものは、誰からも見抜かれる。) ★すみません。また更新が土曜日中にできませんでした。前に見て「いい映画だなあ〜〜」と大いに感心した中国映画のアン・リー監督作品『ラスト、コーション』(Lust Caution, 2007)のDVDを、またも見てしまいまして、見終わって、目が疲れたな〜〜と思って眠ってしまいました。原題は『色・戒』というのですが、ご存知、第二次世界大戦中の上海を舞台にした、日本軍傀儡政府要人の右腕の男の暗殺をもくろむ抗日活動家の女スパイの物語です。 ★私は、恋愛映画は退屈だから関心がないということは、前にもここで書きましたが、この映画は例外的に素晴らしい恋愛映画でもあります。さすが、現世的欲望をごまかさずに徹底して生き抜こうとする(近代までセックスはあっても恋愛は存在しなかったという)中国人が作った恋愛映画です。 ★非常にハードな性交シーンが3つほどありますが、これがまた、非常に正味エッチで、かつ「知的にいやらしい」です。ベッドの上が身体ばかりでなく、脳と心の戦場になっています。(売国奴とされ命を狙われている日本傀儡政府要人の)男と、(その男を暗殺するチャンスを仲間に提供すべく、美貌を餌に男に接近した)女の性交シーンは、めいっぱい身体的に性的でありつつ、きわめて深く精神的に性的です。互いに徒手空拳の真っ裸になり、こいつはどれだけ自分をさらけ出せるか、自分に食いついてくるか、どこまで挑戦してくるか、等々を互いが測定しあう静かな戦場になっています。頭が悪くて気が小さい人間では、ああいう性交はできません。ガキでは、ああいう性交はできません。体力も知力もない人間では、ああいう性交はできません。ついでに手足が長くないと、あの体位はできませんって、何の話か。 ★原作の短編小説であるアイリーン・チャン作『 ラスト、コーション 色・戒』(集英社文庫、2007)においては、サラリと簡単にしか書いていなかった男と女の交情のありさまを、アン・リー監督は、激しさと硬質な叙情と冷たい情熱を漂わせる映像にしました。すごい!さすが、私がニューヨークは42丁目の映画館で6回も見に通った『グリーン・ディスティニー』(Crouching Tiger. Hidden Dragon,2000)を作った監督だけのことはあります。 ★こんなシーンを演じた俳優たちもすごい!また、主演女優の湯唯(Tang Way)さんの美しいこと!私の好みだ!この人の写真集が欲しい!この人の写真集を買いに中国へ行かなくては!売国奴とされ抗日運動家たちから命を狙われる日本傀儡政府要人右腕を演じたトニー・レオンは私の好みではないですが、こういうシーンを演じることができるんだから、才能のある俳優さんなのですね〜〜やはり。『ブエノスアイレス』も良かったもんなあ〜〜 ★それと、もうひとつアン・リー監督に感心したことがひとつあります。ネタばれで、すみませんが、結局、美しき女スパイは、仲間を裏切って男を逃してしまうのですが、それは、男が妻にも買ってやらない6カラットのダイヤの指輪を自分にプレゼントしてくれたからです。原作の短編小説は、男の孤独で無防備な素顔を見た女が、「ああ、この人は私をほんとうに愛している」と思ったから、逃がしたというように書いてありましたが、甘いですわ。甘い。女の作家のくせに女に甘い。いや、自分に甘いと言うべきか。 ★映画では、メチャクチャに高価な6カラットのダイヤの指輪を自分に買ってくれたという男の心意気、このように美しく優雅で豪華で大きなキラキラと光る宝石を買ってくれたという男の心意気に女は素直に正直に感動し、男の自分への真心を信じるのです。だから、その真心への返礼として、「逃げて!」と言うのです。男のアン・リー監督の方が、女の気持ちをよく知っています。生きることに正直な中国の女性ならば、こちらの方がリアルだと思う。 ★え?私があまりに即物的?そう言うあなたの方が、人間を知らないのですよ。いや、自分を知らないと言うべきか。あなたが女性ならば、メチャクチャに高価な本物の6カラットのダイヤの指輪を差し出すことができる男と、愛の言葉と忠誠を差し出す男と、どちらの男が、あなたにとって魅力があるでしょうか?信頼に足る男だと思えるでしょうか? 3秒以内に正直にお答えください。それ以上考えると、嘘が混じりますからね〜〜咄嗟の選択が一番の本音。 ★・・・でしょう?「愛の言葉と忠誠」だけでは足りないでしょう?「愛の言葉と忠誠」は、あったほうがいいけれども、それだけではねえ・・・が本音でしょう?しかし、「愛の言葉と忠誠」がなくても、「メチャクチャに高価な本物の6カラットのダイヤの指輪」があればOKよ〜〜♪と思うのが、正直なところではないでしょうか?命の次に大事なカネを自分のために出してくれる男を女は信用するのですよ。そーいう男は、ダイヤモンドのキラキラと無垢な輝きと同じくらい信用できますよ。 ★「いやん、そんな鶉(うずら)の卵みたいな大きいダイヤモンドよりも、ねえ、あなた、現金の方が私はいいわん、そのほうが嬉しいわん」っていう問題じゃないのです! ★つまり、何を私が言いたいかといえば、『ラスト、コーション』は人間の真実を描いているということです。抗日運動家たちから命を狙われる日本傀儡政府要人右腕の男は、メチャクチャに高価な6カラットのダイヤの指輪を買って女スパイにプレゼントしたので、暗殺されずにすんだのです。多額のカネを出したからこそ、助かったのです。色情のドジは、カネ出して解決するしかないという、きわめて現実的な教訓映画なのです、『ラスト、コーション』は。 ★つまり、カネ出せるどころか、知恵も情報も真心も愛情も笑いも憩いも癒しも何も提供できないような男が女に手をだすな、えらそーに他人の身体の上に乗ってんじゃねーよ!ほんとにヘタだな!女とタダでしかやれないような程度の無能な搾取的寄生虫男に未来はない!という映画なのです。『ラスト、コーション』は、実に素晴らしいフェミニスト映画ですね〜〜♪この映画を、みなさまにお薦めいたします。心に残る名画です。 ★すみません。こういうわけで、アイン・ランド語録を忘れてしまったのでした。ついでに、瓶の底に少し残っていた美容液を寝る前にテキトーに顔にパタパタ塗って寝たら、朝起きたら、顔が赤く腫れてボコボコなのでした。使い古しの化粧品は、いくら高価でも、もったいなくても、皮膚に塗ってはいけないという教訓でした。 ★今回から3回にわたって、アイン・ランドが依頼されて、結局は最後まで書くことはなかった「原子爆弾製造秘話映画シナリオ」の話を紹介させていただきます。 ★若きイングリッド・バーグマンが、うっとりするほど美しかった名作映画『カサブランカ』のプロデューサーのハル・ワリス(Hal Wallis)は、自分が設立した映画製作会社のシナリオ作家として、アイン・ランドを雇いました。1944年のことです。当時のランドは、30年代に劇作品で小さな成功を収めていたし、43年にはThe Fountainheadを出版したものの、すごく売れているわけではなかったので経済的には不安定でした(彼女が経済的に安定できたのは、The Fountainheadの映画化権料という大金を得てからです)。生活費はシナリオ書きで稼ぐしかありませんでした。この契約は、1年の半分は、ワリスの注文に応じてシナリオを書くという条件で、期間は5年間でした。 ★1945年の終り頃、ワリスが原子爆弾製造に関するシナリオを書くようにランドに言います。彼女は、自分の雇い主に、「お引き受けできないと思います。多分、あなたと私の政治的立場は違うでしょうから。しかし、契約があるから書けと、おっしゃるのならば・・・」と言って、翌年の1月にワリスに提出したのが「原子爆弾に関する映画を製作するのに適切な方法の分析」(“An Analysis of the Proper Approach to a Picture on the Atomic Bomb”)という文書です。この文書の趣旨に同意してもらえないのならば、原子爆弾の製造秘話映画のシナリオは書きません!と、ランドは宣言しました。先の引用文は、この文書の冒頭部分です。 ★アイン・ランドは、ほんとに気骨のある原理原則を忘れない人です。「商売だから何でも書きますよ〜〜」の人ではないです。 ★ワリスは、この文書に同意しました。アイン・ランドは、シナリオ書きを引き受け、原子爆弾製造に関わった人々にインタヴューしました。オッペンハイマー博士にも会いました。そうやって、シナリオになる前段階のシノプシスを書きました。 ★同時期に、大映画会社のMGMが同じテーマで映画を作る準備をしていました。大制作会社が相手ではかなわないということで、3分の1まで書きあがっていたアイン・ランドのシナリオを、ワリスはMGMに売りました。MGMは、アイン・ランドのシナリオを使用しないで、映画を製作しました(調べたのですが、その映画の題名が、ちょっとわかりません、今のところ)。 ★結局のところ、アイン・ランドは原子爆弾誕生(アメリカ万歳国策御用)映画のシナリオ・ライターになりませんでした。そのことは、日本人の私にとっては嬉しいことですが、この件について、弟子の遺稿管理者のレオナルド・ペイコフ(Leonard Peikoff)は、「残念なことに」(Regrettably)という副詞を使用して書いています(Journals of Ayn Rand ,311)。つまり、ランドのシナリオが生かされていたのならば、原子爆弾誕生(アメリカ万歳国策御用)映画ではない、別の意義ある映画ができていたろうに、ということでしょうか? ★この引用文を読むとわかることは、アイン・ランドが一般のアメリカ人とは違って、原子爆弾というものについて、その人類壊滅文明叩き潰し歴史抹消力について、正しい理解をしていたということです。とんでもないものだということを、ちゃんと認識できています。 ★ハリウッド映画やアメリカ連続TVドラマの中では、原子爆弾とか核兵器がテキトーに使用されています。あの「きのこ雲」がアクション映画などで登場します。世界唯一の被爆国日本の人間からすると、「知らないってことはお気楽なもんだな・・・」と思わせるような、実にお気軽で軽薄で無知な映像です。 ★Heroesという連続TVドラマでは、核爆発にも平気な無敵の女子高校生が登場しますし、致死量以上の放射能を発する男も登場しますが、核爆発が起きているのに町も人々も大して傷ついていません。せいぜいが尋常でない大爆発程度の認識です。被爆者が、すぐにケロッとした顔で再登場します。ほんとにバッカじゃなかろか、こいつら・・・広島や長崎の被爆者たちの写真を見たことがないのか?いずれ天罰が下るぞ、こういうことやっていると・・・ふざけやがって・・・と私は思います。 ★アイン・ランドは、そんなアホで無知なアメリカ人ではありませんでした。もしくは大衆をアホで無知なままにしておきたい超特権階層アメリカ人(闇の支配者たち?)の手先ではありませんでした、もちろん。 ★アイン・ランドは、「そんな危ないもの作ってしまうなんて、人間の傲慢さだ!」なんて、しょうもないいい子ぶりっ子の馬鹿優等生的気の弱いことも考えませんでした。人間は、どんなに危険なものでも、作ることができるのならば作ってしまうのですよ!科学技術ってものは、そういうものです。原子爆弾は、アメリカが作らなければ、ドイツが作っていたでしょう。遺伝子操作だって、地球温暖化言説作成伝播だろうが、エコロジー問題捏造だろうが、何でも人間はするのですよ。することができるならば、してしまうのですよ、後先考えずに、してしまうのですよ、人間というのは。 ★実は、戦時中の日本も原子爆弾みたいなものは製造をもくろんでいたそうですよ。プルトニウムをドイツのUボートに依頼して日本まで運び込もうとしていたという説だってあります。五島勉さんの『日本・原爆開発の真実―究極の終戦秘史』(祥伝社、2001)を、お読みください。ノストラダムスの大予言で有名な五島さんですが、こちらの方が、うんと面白いですよ! ★良かった・・・Uボートが撃沈されて、日本が原子爆弾を作らなくて。製造に成功して使用していたら、今頃どれだけの恨みを買い憎まれていたろうか・・・現在でも、いまだに根強い中国や韓国の反日感情なんか問題じゃないほどに、憎まれ呪われていたろう。日本のあちこちで無差別テロは頻繁に起きて、国土も国民もボロボロになっていたに違いない。よかった、よかった。原子爆弾を作ることができなかったのは幸運でした。あんなもん、とてつもなく重い十字架でっせ・・・ ★原爆2発も落とされて、落とした国を恨まない国民なんてのは、世界中でも日本人だけでしょう。「原爆憎んで、人を憎まず、落とした外国を憎まず」なんて、日本人ぐらいなものでしょう。忘れっぽいというか、淡白というか、人が好いというか・・・アメリカさん、イスラエルさん、中近東の国なんかに落としたら、あなた方は永遠に憎悪と復讐の坩堝(るつぼ)の中に入り込むことになります・・・あそこの人々は、日本人とは違いますからね・・・ ★本日はここまでと、させていただきます。アイン・ランドは原子爆弾どころか、個人が真に利己的に生きることができる「ほんとうに自由な社会」は、暴力に支配されないし、戦争は起きないと考えていましたから、できてしまった原子爆弾が安全で、永遠に再び使用されないための一助となるような映画でないと、シナリオを書いてもしかたないと考えました。では、どのような描き方がありうるのか? ★2008年の「アイン・ランド語録」をお読みくださり、ありがとうございました。次回は、新年2009年1月4日です!みなさま、良いお年をお迎えください! |