Ayn Rand Says(アイン・ランド語録) |
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中絶に関するアイン・ランドの見解について [03/31/2009]An embryo has no rights. Rights do not pertain to a potential, only to an actual being. A child cannot acquire any rights until it is born. The living take precedence over the not-yet-living (or the unborn). Abortion is a moral right---which should be left to the sole discretion of the woman involved; morally, nothing other than her wish in the matter is to be considered. Who can conceivably have the right to dictate to her what disposition she is to make of the functions of her own body? (“Of Living Death,” in The Objectivist, October, 1968,p.6) (胎芽 [訳注 受精後8週未満の生体。それ以後を胎児fetusと呼ぶが、ここではランドは胎芽と胎児をゴッチャにしているようだ] に権利というものは何にせよ、ない。権利は、存在するかもしれないもの、可能性には付随しない。権利は、現実に存在しているものにだけ付随する。子どもは、生まれるまでは、どんな権利も獲得できない。生きている者には、まだ生きていない者(もしくは、生まれていない者)より優先権がある。 中絶は道徳的権利である。それは、当事者の女性の、その女性だけの決定にゆだねられるべきである。道徳的には、この件に関する当事者の女性の希望以外の何も考慮されるべきではない。彼女が、彼女自身の肉体のはたらきを、どう処理するかについて、ああせいこういせいと、彼女に命じる権利を、いったい誰が持っているだろうか?) ★日曜日の更新のはずが、またまた遅れました。本日はすでに火曜日です。申し訳ありません。仕事再開に備えて、勤務先近くに借りているアパートメントに荷物たくさん持って帰還しまして、約1年間まともに掃除していなかったのでセッセと掃除機かけまくり、雑巾で拭きまくり、冷蔵庫に詰める食糧買い込んだりして、そこに花粉症の猛攻撃を受け、くたびれました。というわけで、今回のコメントは短いです。 ★今回は、中絶が是か非か、いわゆるpro-choiceかpro-lifeかの問題を扱うのが目的ではありません。この問題を語り始めたら、とんでもないことになります。いくら私が馬鹿な身の程知らずでも、これは気楽に語れません。 ★私個人に関して言えば、胎児がみんな生まれていいような条件を整えることもせずに、そういう社会の形成は後回しにして、ひたすらpro-lifeだと言い張るやつは、すごい偽善者だな〜と思いはしますが。すでに生殖能力のないジジイやババアが言い張るのならば、そいつらは若い人々に対して悪意か嫉妬があるんだろ〜〜と思いはしますが。Pro-life派の人間が、中絶手術を実施している医者を殺害する事件がアメリカで起きたことがありますが、こういう人間に、命が大事とか言われたくないですね。 ★今回指摘したいのは、1968年の時点で、ここまでキッパリ言い切るアイン・ランドの勇気といいますか、彼女の思想的信条的「ぶれのなさ」なのです。 ★アメリカで妊娠中絶禁止が、女性のプライヴァシー侵害、女性の自己決定権侵害の観点から、つまりフェミニズムの観点から、最高裁において「違憲」であると判決されたのは、1973年です。意外ですか?もっと早いと思っていましたか?アメリカは、とても宗教的な国家です。アメリカ人の多くは、「子どもは神からのさずかりもの」と本気で思っています。はっきり言って、この問題に関しては、日本人のほうが、だらしなく世俗的で、とことん軽薄です。妊娠は、「できちゃった〜〜」と呼ぶような事態ではありません。 ★ここんとこ、男性の方々、しっかり認識しておいてください。責任を持つ気もないくせに、そんな能力も甲斐性もないのに、人さま(恋人だろうが、妻だろうが、近所の奥さんだろうが)が望まぬ妊娠をする原因とならないように。人さまの身体を、単なる暇つぶしの道具にしないように。そういうことしか暇つぶしを見つけることができない程度の頭しか持っていないことには、心より同情はしますが、そーいう可哀そうな方々は、懸命に働いて、プロのsex workerさん(プロですから、性病には罹患していません)に、お支払いをしまして、礼儀正しく遊んでいただきましょう〜〜とは、私は立場上言えないのよね〜〜 ★アメリカでは、1973年までは中絶手術は、はっきり違法でしたから、John Irvingが1985年に発表した小説The Cider House Rulesに描かれているように、中絶手術は、女性に同情的な産婦人科医やもぐりの堕胎医によって、秘密裏になされていました。ハリウッド女優さんなんかは、観光旅行のふりして、日本に来て手術を受けていたという話もあります。 ★ちなみに、この小説は、1999年に映画化されました。邦題は、『サイダーハウス・ルール』だったかな。地味ながらいい映画です。The Spidermanで主役演じている、あの知的な、若いくせに渋い男優さん(トビー・マグワイア)が、難しい役をうまく演じていました。確信犯的に違法の堕胎手術しつつ、しかし産む気のある女性の出産は手助けして、生まれた子どもたちを育てる孤児院を運営する産婦人科医(英国の名優のマイケル・ケインが演じています)に育てられて、訓練を受けて、成長して、優秀なもぐり堕胎医として多くの女性を助けるという難しい青年の役を、トビーさん、うまく演じていました。 ★この原作も映画も、思想的にはリバータリアニズムに属するものだと思いますが、原作のほうが、その要素は濃いです。原作のほうが、はっきり国家(State)というものの個人への抑圧に意識的です。って、また話が脱線して長くなりそうだから、やめておこう〜〜♪ ★日本では、戦前の「産めよ増やせよ」の富国強兵時代には「堕胎罪」というものがありましたが(例外はあります。強姦された場合とかは許可されましたが、これは申告制なんで泣き寝入りがほとんどでした)、戦後は、「優生保護法」(1997年以後は母体保護法)によって、「母体の健康を著しく害する恐れがある場合」は人工妊娠中絶を認めるということになりました。それが拡大解釈されて、中絶手術がふつーになされるようになりました。 ★アメリカでは、フェミニズムの観点から、女性の権利獲得の目的から、女性たちによって最高裁の「中絶禁止は違憲!」という判決を勝ち得ましたが、日本では、中絶を合法にするべく大いに運動したのは医学界とかでした。 ★この事実の背後には、狭い国土にひしめく人間の数を減らしたい政府と、日本人の数が減ったほうが都合がいい「某国の某勢力」による指令と後押しがあったのでしょう。おかげで、現在の日本では、生まれてくる子100に対して、(公的に把握されている限りの数字においては)25.3の割合で胎児が処理されているそうです。この数字は多いのか、少ないのか? ★「日本の少子化問題は中絶を禁止すれば解決するのではないの?もしくは未婚の出産に公的支援をして未婚の母を奨励すればいいんではないの?」と、こっそり思っている、そこの軽薄なあなた!まあ、未婚の母への支援については賛成しますが、少子化の問題は、そこにあるのではないのですよ!日本の少子化の問題はね、「子どもを産みたくても産めない貧しい夫婦が増えている」こととか、「子どもは欲しいが男はいらない女性が増えている」ことが原因ではないのです。結婚した人々は、医学的理由の不妊問題がなければ、ちゃんと産んで育てています。保育所の足りなさを嘆きながら、働く若いお母さんたちは、育児と家事と仕事をめいっぱいこなしています。男よ、もっと家事をせい!あなたの子を産んでくれた物好きな女性に感謝せい! ★要するに、出産適齢期にも未婚の人&えらく晩婚の人が増えているのが、少子化の原因なのです。私は、27歳で結婚しましたが、それはなぜかというと、夫(になった男)が「今が最後の機会だよ〜〜27歳過ぎたら後妻の口しかないよ〜〜」と、私を脅したからです。1980年当時は、25歳過ぎたらお見合いのお話も来なくなる時代でした、少なくとも名古屋では。 ★しかし、今は、男女とも30代で独身は不思議ではありません。その理由は、いろいろでありますが、ともかく、「結婚したいと思わない」人々が増えているのです。 なんでだろう?今の若い人々が、周りの大人の生き方を見ていて、結婚しても、子ども産んでも・・・しょうがないよなあ・・・と思ってしまうのだろうか? ★元気があれば、誰かを好きになってしまうだろうから、そのときは素直に正直に果敢にアタックして、結婚して、妊娠したら感謝して、赤ちゃんが産まれたら夢中になって育てる、それが生き甲斐になって働くし勉強する。子どもを育てながら、親の真似事していたガキが、ほんとうに親になっていく・・・そーいう単純明快な生き方をやってみる好奇心や活力が、若い人々になくなっているのだろうか?まあ、確かに、学生を見ていても、ふつーのコミュニケーション能力がなくて、人間関係が形成維持できないみたいなのが多いが・・・なんてこと書いていると、また長くなるな。 ★ともかく、アイン・ランドは、ここで「諸権利を有すべき人間というのは、生まれている人間であって、現実に人間として立ち現れている人間のことであって、母体の中にいるのは、まだ人間ではなくて、母体の内臓か細胞みたいなもんであるのだから、つまり、それは母体の持主の所有物なのだから、持主の好きにしていいのである!」と断言しているのです。実に明解です。身も蓋もないほどに即物的で現実的です。この見解を論破することは難しいのではないでしょうか? ★こんなこと書くまでもないですが、頭の不自由な人が不条理なる勘違いをすると、社会の迷惑ですから、あえて言います。アイン・ランドは、妊娠中絶をするかどうかは、当事者の女性が決めること、と言っているだけですからね!「中絶はいいことだ」なんて一言も書いていませんからね!望まぬ妊娠は避けるべきだし、中絶手術が女性の身体に負担のかかるものであるので、避けたほうがいいことは、あたりまえですからね!そんなもん一度も経験しないほうがいいに決まっていますからね! ★しかし、それでも、どんなに気をつけていても、望まぬ妊娠という事態は起きます。だらしないわけでもなく、自制心が足りないわけでもなく、軽率でなかったとしても、そういう事態は起きます。私自身は、自慢にもなりませんが、妊娠すらしたことがないので、そういう事態に陥った女性の、途方に暮れる状態というのは、切実にはわかりません。しかし、安全な妊娠中絶の医療技術の発展が、女性に生殖に関する自己決定権を与えたことは、素晴らしいと思います。人間の努力による医学の発展が、「宿命」であったことを、「選べること」に変えたのは、そのこと自体は素晴らしいことだと思います。 いかほど多くの女性が救われてきたことか! ★さらに、こんなこと書くまでもないですが、軽薄に思慮もなく、相手構わず性行為に至るような事態を引き起こして、望まぬ妊娠を生じさせるような、人間とゴリラの間にいるような脳タリンの亜人間みたいな程度の男や女のことなどは、アイン・ランドの念頭にはありません! ★人間とは、生まれている存在、人間としての実体のある存在としての人間のことであって、それ以外の存在にまで、人間の権利を拡大することは、問題を混乱させるだけだと、アイン・ランドは指摘しているのです。 ★「人間」というものの定義を、「これからヒトとして生まれるであろう存在」にまで拡大すると、実際に今、ここで生きている人間の守られるべき権利が侵されることになる、物事には優先順位がある、できることからやるしかない、ということをアイン・ランドは指摘しているのです。 ★現行の社会は、いまだに、今ここで生きている人間の権利でさえ守ることができない状態なのに、まだ生まれていない存在や、ペットや、動物や、死んだ人間や、環境や、自然や、霊の権利まで、やいのやいのと言ってはいられない、というあたりまえのことを、ランドは示唆しているのです。 |