Ayn Rand Says(アイン・ランド語録)

守るべき自由は政治的自由だけ  [04/12/2009]


Freedom, in a political context, means freedom from government coercion. It does not mean freedom from the landlord, or freedom from the employer, or freedom from the laws of nature which do not provide men with automatic prosperity. It means freedom from the coercive power of state---and nothing else. (“Conservatism: An Obituary,” in Capitalism: The Unknown Ideal)

(自由とは、政治的文脈でいえば、政府の強制からの自由のことである。家主から自由であるとか、雇い主から自由であるとか、自動的に繁栄する状態を人間に与えない自然法則から自由であることを意味しない。自由とは、国家の強制力からの自由のことであって、他の何も意味しない。)

★更新が1週間も遅れてしまいました。申し訳ありません。授業が始まると、やはりドタバタします。天国状態から、あっという間に怒涛の労働。でも、これも私にとっては一種の天国状態のようです。ははは。

★遠慮のない学生さんが「大学のセンセイって毎日出勤しなくていいね〜〜遊んでるようなもんだね〜〜」と嫌味を言います。無知なガキというのは、ほんとに無知で想像力がないです。90分をしゃべり倒して、そのしゃべりの中身が、聴く側にとってあっという間に時間が過ぎたと感じられるぐらいに退屈しない&情報の多い授業を提供するには、それなりの時間も体力も必要です。しかし、そんなことを無知な学生に言ってもしかたない。

★「私らの仕事は、お前みたいにアポイントメントなしに襲来してくる不躾で育ちの悪い学生とか来客があって仕事が中断されやすい研究室だけですませることができないんじゃ!24時間仕事みたいなもんじゃ!私が、あんたの周りの大人たちと同じで暇つぶしに困っていると思うんじゃないよ!お前なんか、黙って豆腐(男のくせに、糖尿病でもないのに、ダイエットのために炭水化物代わりに豆腐ばかり食しているそうです)でも食ってろ!ガキの頃に、万引きしたことなんか自慢してんじゃねーよ! まったく、脳みそまで豆腐だな」と言いたくても、豆腐頭には、そんなこと言っても無駄であります。

★ということで(どういうことかわかりませんが)、今後の「ランド語録」の更新は毎週日曜というわけにはいかず、不定期になります。申し訳ありません。でも、2週間に1度の割合で更新したいと思っております。50回のうち40回まで来ました。ゴール(勝手に設定しました)まで、もう少しです。どうぞ、読んでやってください。

★さて、今回の問題は、「自由」です。自由、自由といいますが、一番肝心の自由は、「政治的自由」です。つまり「法が保障して行使することを認めていることを、法の平等の下に行使できるかどうか」が、自由の問題であって、あとのことはなんとでもなる類の自由であって、なんとでもなるのだから問題にすることはない類の自由である、ということは、おそらく、現代の日本人にとっては一番理解したがいことかもしれません。それだけ恵まれているというか、それだけ油断しっぱなしというか。

★「自由が欲しいわ!」とか「自由にさせてくれ!」と言うときの「気ままにする自由」とか「当座の欲望に正直に生きる自由」を行使できない自由を愚痴られても、別に、あんたが勝手に自主規制しているだけであって、やりたければやればいいでしょ?そうしたからといって、誰もあんたを逮捕しないし、禁治産者にもしないから、やればいいでしょ?何をゴチャゴチャ言ってんの?ほんとにしたいのならば、いちいちギャアギャア騒がずに、黙ってするでしょーが・・・・あんたの気ままさや私的欲望は自分で処理するべきものでしょーが、騒ぎ立てるほどのことか、うるさいんだよ〜〜と返答するしかありません。

★先の引用文の例で言えば、家主さんから自由というのは、たとえば、借りる部屋の模様替えは家主の許可を得るようにと仲介の不動産会社から言われていたけど、家主さんに黙って白い壁を真っ赤に塗り替えることです。決まっているゴミ出しの日を無視して好きな時にゴミ袋を出して、カラスにつつかれるままに放置してゴミが散らかるままにしておくことです。お隣から騒音の苦情が出ていますから、集合住宅ですから静かに生活してくださいね〜〜という家主さん(もしくはその代理の不動産管理会社)のことばを無視して、深夜に窓を開けっ放しにして友人と大騒ぎしたり、下手なギターやキーボードやドラムで雑音を出すことです。

★こういうことだって、やりたければ、できます。ただ壁を塗り替えたら、退去するときに敷金は返らず、敷金以上の「原状回復費用」を請求されて支払わなければならないだけです。ゴミ出しや騒音に関するルールを守っていなければ、だんだん周りの人々の目線が冷たくなって無視されるので、居づらく不快になるだけのことです。原因は結果を導きます。何にしても行動したことの結果はついてきます。それを引き受けなければならないのは当然のことです。「因果からは、逃げられませんね〜〜♪

★しかし、「因果」なんか気にしなければ、自由です。やりたい放題で生きようと思えば、できます。結果を気にしなければ、この世にできないことなど、ありません。物理的にはヒトは空を飛べませんが、飛びたければ、30階のビルの屋上から飛んでいいのです。たぶん墜落して死にます。しかし、飛ぶのも墜落するのも死ぬのも自由です。誰もとめません。止めているのは、あなた自身です。すべて、あなたの問題です。あなた次第です。

★問題は、家主の許可を得ずして部屋の模様替えをしたり、ゴミ出しの日を無視したり騒音を出した場合は、刑法何条とか、民法何条とかに従って、1000万円以上の罰金とか、もしくは10年以上の懲役とかいう法律があるかどうかです。刑法に違反すると、逮捕されて警察や検察庁の取り調べを受けて、起訴されて刑が確定するまで、留置場にいなければなりません。巨額の保釈金を支払うことができれば(証拠隠滅の恐れがあって保釈が認められない場合もあります)、自宅で謹慎して、出廷の呼び出しを待つことができますが、出廷しなければ逮捕です。法には、「強制執行力」があります。あなたの行動の自由を物理的に抑止することができます。

★法という後ろ盾がない強制執行力に対しては、理不尽な暴力ですから、自己防衛の範囲で抵抗できますし反撃できます。しかし、法に対しては、抵抗して反撃すればするほど、自己を防衛することにはならず、アメリカならば、自己弁護の機会もなく、公務施行妨害で射殺されかねません。

★かくのごとく、「法」というものは「法治国家」においては万能であります。天皇だろうが、首相だろうが、ロックフェラーだろうが、法は守らねばなりません。法の下においては、どんな権力者も美形も、非力で不細工なあなたと同じです。ほんとうに「法治」になっているかどうかは別として、建前であろうが、形式でしかなかろうが、「法治」というのは人類の素晴らしい発明です。神の下の平等よりも、素晴らしい。法は成文化されているので、神の判断より、判断基準が明確でオープンですから。

★壁の塗り替えだの、ゴミ出しだの、真夜中に騒ぐことだの、飛んでみることなど、実行しようが、実行しなかろうが、まあ、どうってことないです。こんな程度のことは法で制限されても、どうってことありません。問題は、それらなくしては、私たちが人間として十全に生きることを試みることができないようなことが非合法化されることです。法に保障された物理的強制力(公的暴力)によって、それらが弾圧され抹消されることです。

★では、「それらなくしては、私たちが人間として十全に生きることを試みることができないようなこと」とは、何でしょうか。

★それは、「かけがえのない自分の生を、長期的視野に基づいた自己利益にかなった自分自身にとって幸福な人生だと考えることができるようなものにするために、自分が必要だと考える言語行為や行動が、他人のそのような言語行為や行動を物理的強制力によって侵害しない限り、抑圧禁止制約を受けないこと」です。

★超簡単に言えば、「ヒト様に暴力ふるって迷惑かけない限りは、自分の生き方は自分の好きに選択して試みる自由」です。「自分の生き方は自分の好きに選択して試みる自由」を行使しなければ、あなた、人間として生きているとは言えないでしょう〜〜少なくとも近代人としては。「自分の生き方は自分の好きに選択して試みる自由」を行使できなければ、人間として、自分の人生を生きていると実感できないでしょう〜〜少なくとも意識ある(考えることができる)人間としては。

★この「ヒト様に迷惑かけない限りは、自分の生き方は自分の好きに選択して試みる自由」が法的に保障されていること、これが「政治的自由」です。

★私たち日本人が行使することが保障されている「政治的自由」は、以下のとおりです。日本国憲法の第3章をコピペしてみました。うわあ〜〜日本国憲法を読むのは、中学高校の英語教員免許取得に必要な科目として受講した大学1年生のクラス以来だな〜〜1971年以来かよ〜〜教えてくれた先生の顔も性別も老若すら覚えてないぞ〜〜ほんとに前近代人以前の「ミニスカートはいたサル」だったのね〜〜18歳の私って。

<日本国憲法>
第3章 国民の権利及び義務


  第10条 日本国民たる要件は、法律でこれを定める。
国籍法

  第11条 国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。

第12条 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。

  第13条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福の追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

  第14条 すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。
2 華族その他の貴族の制度は、これを認めない。
3 栄誉、勲章その他の栄典の授与は、いかなる特権も伴はない。栄典の授与は、現にこれを有し、又は将来これを受ける者の一代に限り、その効力を有する。

  第15条 公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である。
2 すべて公務員は、全体の奉仕者であって、一部の奉仕者ではない。
3 公務員の選挙については、成年者による普通選挙を保障する。
4 すべて選挙における投票の秘密は、これを侵してはならない。選挙人は、その選択に関し公的にも私的にも責任を問はれない。

  第16条 何人も、損害の救済、公務員の罷免、法律、命令又は規則の制定、廃止又は改正その他の事項に関し、平穏に請願する権利を有し、何人も、かかる請願をしたためにいかなる差別待遇も受けない。

第17条 何人も、公務員の不法行為により、損害を受けたときは、法律の定めるところにより、国又は公共団体に、その賠償を求めることができる。

第18条 何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない。又、犯罪に因る処罰の場合を除いては、その意に反する苦役に服させられない。

第19条 思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。

第20条 信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
2 何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。
3 国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。

第21条 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
2 検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。

  第22条 何人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転及び職業選択の自由を有する。
2 何人も、外国に移住し、又は国籍を離脱する自由を侵されない。
国籍法

  第23条 学問の自由は、これを保障する。

第24条 婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。
2 配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。

第25条 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
2 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。

第26条 すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。
2 すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は、これを無償とする。

  第27条 すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負ふ。
2 賃金、就業時間、休息その他の勤労条件に関する基準は、法律でこれを定める。
労働基準法
3 児童は、これを酷使してはならない。

第28条 勤労者の団結する権利及び団体交渉その他の団体行動をする権利は、これを保障する。
労働組合法

第29条 財産権は、これを侵してはならない。
2 財産権の内容は、公共の福祉に適合するやうに、法律でこれを定める。
3 私有財産は、正当な補償の下に、これを公共のために用ひることができる。

第30条 国民は、法律の定めるところにより、納税の義務を負ふ。

第31条 何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない。
刑事訴訟法

第32条 何人も、裁判所において裁判を受ける権利を奪はれない。

  第33条 何人も、現行犯として逮捕される場合を除いては、権限を有する司法官憲が発し、且つ理由となっている犯罪を明示する令状によらなければ、逮捕されない。

第34条 何人も、理由を直ちに告げられ、且つ、直ちに弁護人に依頼する権利を与へられなければ、抑留又は拘禁されない。又、何人も、正当な理由がなければ、拘禁されず、要求があれば、その理由は、直ちに本人及びその弁護人の出席する公開の法廷で示されなければならない。

第35条 何人も、その住居、書類及び所持品について、侵入、捜索及び押収を受けることのない権利は、第33条の場合を除いては、正当な理由に基いて発せられ、且つ捜索する場所及び押収する物を明示する令状がなければ、侵されない。
2 捜索又は押収は、権限を有する司法官憲が発する各別の令状により、これを行ふ。

第36条 公務員による拷問及び残虐な刑罰は、絶対にこれを禁ずる。

第37条 すべて刑事事件においては、被告人は、公平な裁判所の迅速な公開裁判を受ける権利を有する。 2 刑事被告人は、すべての証人に対して審問する機会を充分に与へられ、又、公費で自己のために強制的手続により証人を求める権利を有する。
3 刑事被告人は、いかなる場合にも、資格を有する弁護人を依頼することができる。被告人が自らこれを依頼することができないときは、国でこれを附する。

  第38条 何人も、自己に不利益な供述を強要されない。
2 強制、拷問若しくは脅迫による自白又は不当に長く抑留若しくは拘禁された後の自白は、これを証拠とすることができない。
3 何人も、自己に不利益な唯一の証拠が本人の自白である場合には、有罪とされ、又は刑罰を科せられない。

第39条 何人も、実行の時に適法であつた行為又は既に無罪とされた行為については、刑事上の責任を問はれない。又、同一の犯罪について、重ねて刑事上の責任を問はれない。

第40条 何人も、抑留又は拘禁された後、無罪の裁判を受けたときは、法律の定めるところにより、国にその補償を求めることができる。

★アメリカから押しつけられたとか、ワイマール憲法の真似だとか、突貫工事で即席ででっちあげたものだとか、悪文だとか、いろいろ悪口言われてきた日本国憲法ですが、そーいう非本質的な瑣末なことよりも、内容の凄さを、もっと認識いたしましょう。

★ただし、「 第12条 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。 」の、この「常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ」の部分は、私からすると、集団主義的で、イヤな感じです。「公共の福祉に対する自己の権利の行使が与えるかもしれない悪しき影響には常に留意し回避する」とかの程度に書き換えたほうがいいんじゃないかとは思いますが。

★それにしても、よく、これほど伝統的日本人には全くピンとこない内容を憲法にできたものです。占領軍にでも無理に押しつけられなければ、前近代人の日本人が近代国家の近代的憲法を手にできたはずがありません。

★日本人が近代を自前で実現するまで待って自前の近代国家の憲法を作成できれば、一番良かったのですが、あいにくと日本人の意識の変化よりも、「近代人意識」のほうが歴史のメイン・ストリームに入るほうが早かった。「周辺」は、メイン・ストリームに合わせないと、「周辺」という布置すら手にできないです。

★自分の体内時計に沿って動くことができない不安定な環境の中にいるはめになってしまって、急速に無理に無理を重ねて成長しなければならず、その成長痛に悩んだり、腑に落ちないことばかりなので実践がトンチンカンになりがちで失敗ばかりで苦しむということは、個人の人生によくあることですが、国にもあるのです。

★ある出来事により、ガーンと成長せざるをえなくなって、ガキが急に大人になることがあります。暴力的に急速に大人になることがあります。甘ったれたガキが、親の死によって急に冷静で責任感のある当事者意識のある大人になるということがあります。大人の振りして真似しているうちに、ほんとに大人になるってこともあります。ゆるやかな、なだらかな成長もありますが、あるショッキングな出来事という節目節目でガクンガクンと大きく伸びることのほうが、ありがちなことではないでしょうか。

★日本も、明治維新や太平洋戦争ぼろ負けという出来事により、箱庭で遊んでいるガキのままでいたかったのに、「近代人」の真似ごとをしなければならなくなったのです。開国以来の無理に無理を重ねた「近代人ごっこ」でした。その無理がたたってヒステリーになりまして、昭和に入ってからは長い長い戦争時代が続きました。戦後も、「近代国家の政府の憲法ってこういうもんか・・・」と腑に落ちていないままに、ここまできました。

★まあ、このさい、過ぎたこと&起きてしまったことは受け入れて、現在の日本国憲法の中身の「近代性」を素直に寿ぎましょう。私たちは、この憲法を担保にとって、政府や警察や軍隊や巨大メディアにダメ出しできる立場にあるのです。憲法ってのは、『利己主義という気概』においてもアイン・ランドが言うように(小室直樹氏も書いていらしたな)、政府を抑止するために、あるのですから。私たちの生存権、所有権、幸福を追求する権利、自由を行使する権利を守るためにあるのですから。憲法だけは、私たちの味方なのです。

★ともあれ、アイン・ランドが賛美する自由とは、法で保障されている「政治的自由」のことであって、「好き勝手に欲望のままに生きる自由」のことなど、彼女はどこにおいても奨めておりません。そんなもん、論議する必要もないです。勝手にやれば〜〜?です。そんなもの心理的問題でしかありません。要するに妄想や空想が現実にならない〜〜と騒いでいるようなもんです。大人の話題にはなりません。

★アイン・ランドの自由主義思想を、そういう程度の低い矮小で幼稚なものとして解釈して批判する自由もあるので、そうしたければ勝手に自分の頭の悪さをさらけ出して自己宣伝していればいいです。読まずに批判したっていいですよ。それだって、あなたの自由です。人間には、自分の思想と良心に従って、愚かに知的不誠実に生きる政治的自由だってありますからね。そーいうあなたが行使したい自由を、私の自由の行使が保障されるためにも、私は理解します。物理的強制力(暴力)の行使による互いの自由の侵害だけはせずに、仲が悪いまま対立したまま共存いたしましょう!でもって、「政治的自由」が侵された場合だけは、共闘しましょう!

★でも、あなたは、きっとそこから逃げるな。だって、あなたは、読まないで批判する小賢しい知識人だもの。グチャグチャ言葉数だけは多いけれども、決してサイドは取らない(=必ず、いつも逃げ道を用意している)知識人だもの。アイン・ランドの勇気の1パーセントも持たない卑怯で臆病な人間だもの。「犬は吠える。しかし、キャラバンは進む」って言葉知ってる?