雑文

アメリカで、アイン・ランド研究を反対されたけれど、でも私はやるんだの記(2)


私はニューヨークでの在外研究休暇の始まる前2000年夏には、つくづく自分のやっていることが空しくて虚しくて、落ち込んでいた。アメリカ文学研究が、面白くないわけではないけれど、死んでもやりたいほどのものでもない。消えてもいいようなもんだ、私にとっては。頭悪いから、よくわからんし。教師という仕事は好きだけど、意味があるとは特に思えなかった。学生にとっては大学なんて単なる通過地点であり、教師なん「踏み台」にすらならない「足拭きマット」(足拭きマットの分際で、セクハラなんかするな!)だ。他にできることもなく食うためにやってきただけのことだから、無意味な仕事でも給与が出て食べてこられたのだから、本読んで食ってこられたのだから、1000人に1人の幸福だと、ほんとうにありがたい人生だと、感謝はしてきた。でも、どこか空しかった。ともかく落ち込んでいた。夜逃げするような気持ちで、欝っぽいままで、ニューヨークに行った。あの数年間は、中年の危機とかいうものだったのか。更年期障害という便利なことばもあるな。いろんな馬鹿やっていたな。詐欺のようなものにもあったし、カルトに騙されかけた(いや、はっきり騙された。このことは、またこのHPに書く。)こともある。そのために無駄に金も消えた。全て厄落としだと思っているけど、半分は負け惜しみです。はい。

だから、ニューヨークに行ってからの半年間は、実質的にはぼんやりしていた。それまでが私的にも仕事面でも忙しくて、クタクタのヘトヘトだったから、ただひたすら、ぼんやりと休養していた。それまでの10年間で両親は死ぬし、愚劣きわまる同僚たちとの(前の職場の)確執もあった。おかげで、ストレスで一時期かなり太ってしまった。私は追い詰められると食うのだ。蚊とかハエみたいな連中でも数が多くなれば、うるさい。今、思えば、私の内面の問題=空虚さを仮に埋めるために、あいつらに八つ当たりしていたような気もする。現在でこそ、無能な粗大生ゴミみたいな精神的田舎者のオッサン連中や、貧乏くさい下司男に貧乏くさく媚びる厚化粧ブス馬鹿女の相手など簡単にできるが、あの頃はそういう余裕がなかった。その他もろもろ、いろいろ様々なことがトラウマとなって、重荷となって、心に分厚く頑固に堆積されていた。40代も半ば過ぎれば、誰でもそんなもんだ。中年は、ボロボロよ。埃まみれよ。

だから、オペラを見まくったり、所属先の大学院のクラスを(予習などしないで)聴講したり、ニューヨークの街中をひたすらほっつき歩いて無為に日を過ごしていた。体調も悪くて、生まれて初めて痔にもなった。あれは痛いな。風邪もよくひいた。寒さもはんぱではないし。チョコレートとかやたら食べていた。ほんとうに疲れていた。アパートの窓から国連ビルやクライスラー・ビルなどを眺め、大陸的に青い(日本の青空のぼけた青ではない、きっぱりした青)空を見上げていると、少し慰められた。気分は石川啄木。負け犬。敗残者。落ちこぼれ。砂浜で蟹とたわむれるかわりに、公立図書館裏のブライアント・パークで小石を蹴っていたな。

そういう重低音の調子の私を救ったのが、アイン・ランドの作品だったなどと、芝居がかって断言する気はないけれども、半分は切実な真実(韻踏んでますね)。2000年9月から21世紀の幕開けまで、のんびりしていれば、元気も回復するだろうから、「気分浮上」の理由は、ランドばかりではない。でも、ランドでなければ、浮上できなかったことは、断言できる!あんなに臆面もなく、あっけらかんと、生きていることを肯定し、現世を肯定し、自分を愛するランドの小説の主人公たちに出会って、つくづく「何やってるんだ?いい年して。いつ死ぬかわからん年齢になっているのに。私はちまちま、何を苦にしてるんだ?自分で責任とって引き受けて生きていくのだから、堂々と自分自身でいればいい。この宇宙の中で、自分は一人だけなんだから、思いっきり自分の生を肯定して好きなように生きよう。自分を大事にしないなんてほんとうに罪悪だ!」と、思った。深く暗い森から開かれた広大な明るい草原に出たような気分になった。気分は一気に新鮮なる中学生。