雑文

ヴィジョンなき国家のアニメ---大友克洋作Akira(4)
報告者:藤森かよこ


日本の自己欺瞞と、その起源

ところで、長く夢見てきたような状態になったのに、その新しい自分でいることを怖れるという心性の要因は何でしょうか。成功したのにもかかわらず、その成功を怖れる場合、背後にどんな理由が考えられるでしょうか。その成功の過程に不正なものが介在していたという罪の意識があるからでしょうか。もしくは、その成功がつかの間のものであろうという悲観的な予感があるからでしょうか。その成功はほんとうに自分が欲望していたものではないからでしょうか。成功してから何をするのか、何のヴィジョンもなかったので、成功しても、次の目標が見つからずに空虚であるからでしょうか。それとも、これらすべてが理由でしょうか。

いずれにしても、夢が実現したのに、その状態を怖れるという姿勢の根底には、自己把握の失敗があります。自分が何ものであるかについて、自分が何をしたいのかについて誤解していて、誤解したまま、何事かを成就したものの、それはほんとうに自分が望んでいたことではないので、充実感がなく、空虚さがあり、次のステップが踏めないという状態に陥るという状態の最初にあるのは、自己欺瞞です。

ここで、個人を対象にした精神分析を、歴史や国家にもあてはめて歴史解読を試みる日本の心理学者の岸田秀の見解が参考になります。岸田は、日本という国が、歴史を通じて、「国際化と非国際化(言い換えれば鎖国)との葛藤に引き裂かれ、揺れ続けている」(岸田、103)と指摘しました。「実際には、文化的、政治的、経済的、軍事的に諸外国に依存していたり、または諸外国と深い関係があったりするにもかかわらず、諸外国との関係から幻想的に逃亡し、諸外国の影響を幻想的に否認して独立自尊の幻想に閉じこもろうとする傾向」(岸田、104)が日本にはあると、岸田は言うのです。

自己の独自性や独立性に非現実的に固執することは、個人でも国家でも、よくありがちなことだと思われますが、外部との関係に対する日本が抱く不安というのは、日本に特徴的なものであるらしく、岸田と似た指摘を映画研究者のMarie Morimotoもしています。Morimotoは、「日本の文化的自己表象における主要なテーマは、あらゆる不如意に抵抗し戦う孤独な国家の国民というものであり、その国民は、他の国の国民とは違って独特で、だからこそ孤独で、犠牲者になりやすいというものである」(”Dominant themes in Japanese cultural self-representation have long been those of uniqueness, isolation, and victimization---hence of a lone nation struggling against all odds.”)と述べています(Morimoto, 22)。つまり、日本人は、日本は他のどの国とも違って特別だけれども、その独自性ゆえに孤独であり、諸外国とのつきあいでは被害者になりやすい可哀相な国だと思っていると、Morimotoは言うのです。

なぜ、日本人は、自らの独自性にかくもこだわり、その独自性が外国との交渉によって侵されることを被害妄想的に怖れ、さらにその自分のこだわりや被害者意識に無自覚なのでしょうか。客観的には国際関係に不器用で、ほんとうのところは外国とつきあいたくないのに、それを意識せずに、熱心に「国際化」を追及しようとする日本の自己欺瞞の源は何でしょうか。 

それは日本建国にまつわる事実の隠蔽にさかのぼるという仮説を、岸田は提示しています。岸田の推理は、こうです。七世紀に大陸に唐が出現して、唐と新羅の連合軍に滅ぼされた百済の出先機関、もしくは植民地であったのが日本列島であり、百済から逃亡してきた人々もまじえて、日本列島に割拠していた豪族たちが、唐と新羅から侵略される危機感からまとまり、日本国というものを立ち上げ、唐の皇帝の真似をして、まとめ役として「天皇」を据えたと。しかし、その人々は、大陸や半島への従属関係を否認し、国際関係から逃亡し、列島の中で独自に成立した国が日本だと言い張り、天孫降臨説のような神話をでっちあげたと。

中国史研究の泰斗(たいと)である岡田英弘(おかだ・ひでひろ)も、日本に交易にやって来た華僑が、中国や半島の戦乱によって、大陸に帰ることができずに、やむなく日本という国を立ち上げたという説を述べています。日本人とは一種の中国人であり、日本人という別個の民族は存在しなかったし、日本という国があったわけではないと述べています。ですから、日本は百済からの逃亡者によって成立した国家であるという仮説も、いちがいに荒唐無稽とは言えないかもしれません。

現在にいたるまで、日本が国際化と非国際化(鎖国)に引き裂かれつつ、その自己分裂状態に無自覚であることの根本原因は、日本という国が、外圧と脅威によってやむなく建国されたのに、その外圧と脅威を否認して、外国への根深い恐怖を抑圧して、自国の独自性を捏造し、かつ捏造したこと自体をも否認して、心理の奥深くで事実を抑圧したので、外国が嫌いにも関わらず、外国との交通が好きなような行動を熱心にとるが、どうしてもほんとうは外国が嫌いだから、外国との軋轢を心ならずも起こしてしまうのだ、という岸田の説は、私には、非常に説得力が感じられます。

岸田は、「日本は外国の植民地になったことはない」という日本人がよく言う説を否定します。日本は1853年のアメリカのペリー提督による軍艦外交により開国を迫られ、1854年に、アメリカに治外法権を認めるような不平等条約である日米和親条約を結んでからは、ヨーロッパ諸外国と同じような不平等条約を結び、その状態は1911年まで続きましたが、実質的には、この58年間は日本は西洋列強の植民地だったと、岸田は言います(岸田、128-132)。独立国としての主権を何らかのかたちで侵害されている状態にある国を植民地と呼ぶとするのならば、確かに、日本は、1854年から1911年まで、明らかに植民地だったし、アメリカの軍事基地が日本国内にずっと存在する第二次世界大戦後の日本は、ずっとアメリカの植民地なのでしょう。

岸田は、さらに言います。自分の国が植民地にされたのにも関わらず、その事実を否認して、自己の独自性という幻想に固執し、かつそのことに無自覚であったものの、心の奥底では欧米に対していだいていた憎悪が噴出した結果が、第二次世界大戦だったと。アジアへの侵略は、アメリカや西洋列強にされたことの鬱憤晴らしであったと。ドラキュラにかまれた人間がドラキュラになるようなものですね。アメリカを始めとした西洋への恨みと、自己の傷ついた独自性、自立性の回復のために、日本は現実的な国力水準から見れば、できるはずがない日中戦争や第二次世界大戦を起こしました。そのために、日本人を除いたアジア人だけでも1000万人、日本人300万人の犠牲者が出ました。どんなに屈辱的であろうと、自分の国が植民地であることを直視していれば、植民地のように扱われる現実を直視していれば、少なくとも、日中戦争や第二次世界大戦が、あのようにダラダラと長引くことはなかったはずです。それも、これも、日本の建国にまつわるトラウマから生じているが、そのことが、現在にいたっても、日本の問題なのだとも、岸田は言うのです。

独立国家としての日本という認識が事実誤認であることについては、副島隆彦(そえじま・たかひこ)も指摘しています。このような見方は、岸田や副島の被害妄想のせいとは言えません。なぜならば、アメリカの歴史学者のCarroll Quigleyが、「日本文明というのは、キリストが生まれた時代あたりに始まり、1600年以降の江戸時代に頂点を極め、1853年以後は、西洋の侵略者によって完璧に粉砕されたと言えるかもしれない」(”Japanese Civilization, which began about the time of Christ, culminated in the Tokugawa Empire after 1600, and may have been completely disrupted by invaders from Western Civilization in the century following 1853.”)(Quigley,6)と述べているからです。西洋の歴史学者が、日本を侵略して、日本文明を消滅させたと、認めているのです。エール大学で前アメリカ大統領ビル・クリントンを教えた歴史学者が、現在の日本は、西洋によって文明が抹殺された国だと、暗に言っているのです。そのような国が独立国家でしょうか。独立国家日本という認識が事実誤認であることは、どうやら、客観的事実なのです。