Anthem(1938)全訳
アイン・ランド作/藤森かよこ訳『アンセム』

第八章

驚くべき一日だった。この森で過ごした第一日目は。

太陽の光線が、我々の顔に斜めに落ちたとき、我々は目覚めた。我々は飛び上がりたかった。今までの人生で毎朝飛び上がって起きなければならなかったように。しかし、突然思い出した。もう起床の鐘は鳴らないし、この森のどこにも鳴りたてる鐘などないということを。我々は仰向けになり、両腕を大きく広げた。仰向けに寝転がったまま我々は空を見上げた。木々の葉の淵は銀色だ。その葉の銀色の淵は、我々の頭上に高く流れる木々の緑と、その木々の間を流れる火の川のような陽光に震え、さざ波を立てている。

我々は動きたくない。好きなだけ、このまま寝転がっていていいのだと、我々は突然気がついたのだ。そう思うと、たまらなくなって我々は大声で笑う。今の我々は、起き上がってもいいし、走ってもいいし、跳躍してもいいし、また倒れて寝転んでもいい。こんなふうに考えるのは道理にあわないと思うのだが、そう思う前に、寝転がっていた我々の体は起き上がっている。飛び跳ねて起き上がっている。我々の両腕は、腕の望むままに伸びる。我々の体は、ぐるぐる旋回する。あたりの低木の茂みの葉の中にサラサラと音をたてる風を起こすまで、ぐるぐるぐるぐる旋回する。それから我々の手は一本の枝をもぎ取り、それを一本の木に向かって高く振り回す。何のために?ただ、自分たちの体の内にある力強さを知るという素晴らしい驚きを味わうだけのために、振り回す。その枝が折れて、クッションのように柔らかなコケの茂みの上に落ちる。我々の体は、コケの茂みの上をゴロゴロ転がる。もう分別も何もかもなくして、ゴロゴロ転がる。我々のチュニックにも髪にも顔にも乾いた葉っぱがくっつく。そのとき突然、我々の耳に聞こえたのは笑い声だった。我々自身の笑い声だった。我々が大きな声で笑っているの。もはや我々の中に残っている力は、笑いしかないかのように。

しばらくしてから、我々はガラスの箱を手に取り、森の奥に進んで行った。我々は、ずんずん進んで行った。前をふさぐ木々の枝を切り拓いていくように進んで行った。まるで葉の海を泳いでいるようだった。その葉の海には、我々の周りで高まり、崩れ落ち、また高まる波のような茂みもある。その茂みの波は、緑色の波しぶきを木々の高みまで高く投げ飛ばしている。我々の前に、木々が開ける。我々に前進を促しているのだろうか。森は、我々を歓迎しているようだ。思惑も何もなく、我々は進んで行く。何も気にしない。我々の身体が詠う歌以外には何も感じない。

空腹を感じて、我々は歩みを止める。木々の枝の中を鳥が何羽か見える。我々の足元から飛び上がっている。我々は石を拾い上げて、一羽の鳥をめがけて、矢を射るように石を投げる。鳥は、我々の目の前に落ちる。火を起こし、それを料理し、食した。これほど食事というものが美味に感じられたのは、我々には生まれて初めてのことだった。そのとき、突然我々は思う。我々が必要とし、自らの手で獲得した食べ物からは、大きな満足が見出せるものなのだと。また空腹になりたいと思った。すぐに空腹にならないかと思った。食べることにまつわる、この不思議な新しい誇らしさを、再び我々は感じたい。

食事が終わって、我々はまた歩く。木々の間を縫う一筋のガラスのように横たわる小さな川までたどり着く。それは、実に静かな小川なので、そこに水は見えず、ただ地面の表面に切り口が開いているのだった。その小川の水に映った木々は、その水の奥に向かって下向きに伸びているように見える。空は、水底にあるかのように見える。我々は、小川のそばに跪き、水を飲もうと体をかがめる。そのとき我々は静止してしまった。我々の目の前の小川に映った空の青さの表面に、我々の顔が映っていたからだ。我々は、生まれて初めて、自分たちの顔というものを見たのだ。

我々は、そこに座りこんで、息を止めてしまう。我々の顔と体は美しかった。我々の顔は、我らが兄弟たちの顔とは違っていた。我々は、我らが兄弟たちの顔を見ると、なぜかわけもなく憐憫を感じていたものだが、自分たちの顔を見ても、それを感じなかったから。我々の体も、我らが兄弟たちの体とは違っていた。我々の四肢は伸びやかでほっそりとして、硬く強かったから。我々は思った。この小川の中から我々を見つめているこの存在は信頼することができると。この存在とともにいれば、恐れることなど何もないと。

我々は、日が沈むまで歩き続ける。木々の間を夕闇の影が集まったとき、我々は木の根と木の根の間にある窪地で足を止める。今夜はここで眠ることにしよう。今日というこの日、我々は呪われた人間であるということを、我々は初めて思い出す。我々は声をたてて笑う。

我々が、ことのいきさつを、こうして書き記している紙は、我々があの<学識びと世界協議会>に持ち込んではみたものの、彼らに決して渡さなかった何ページにもわたる実験記録とともにチュニックに隠し持っていたものだ。我々には、我々自身に語るべきことが多くある。これからの日々に、それに適した言葉を我々は見つけることだろう。今の我々には、まだ、その語るべきことを語ることができない。なぜならば、まだ我々には事態がよく理解できていないから。